ソロモン

−栄華と虚無の狭間で−



1.人物像



ソロモンとは「平和、平安」の意味を持つシャロームに由来します。ダビデとバテシバの間に生まれた二人目の子供であり(B.C.991)、預言者ナタンによってエディデア(主に愛されるの意)という名前を得て祝福を受けます。ダビデの死後異母兄弟のアドニアと王位を争いますが、彼を処刑し、イスラエルの3代目の王としてその王位を確立します(BC971頃)。当初ソロモンは主に対する信仰と従順によって卓越した知恵と英知を発揮し、イスラエルをその黄金期に導きます。またダビデが果たし得なかったのための黄金の神殿を建設します。世界各地との貿易によって世界の富が彼のもとに集積します。その評判を聞きつけたシバの女王が彼のもとを訪れるなど、その権勢と評判は全世界的に響き渡ります。

しかしながらその栄華の確立と共に妥協を許し、徐々に世俗化し、異教の女との結婚などにより霊的な面でも純粋さを失い、ついにはオリーブ山にが禁じられた人身供養を目的とするモレクの神殿の建造を許すにおよび、その王国は徐々に堕落の一途をたどるようになります。彼の死後王国は北王国(イスラエル)と南王国(ユダ)に分裂します(BC931頃)。彼の作といわれる「伝道の書(コヘレト)」ではこの世における栄華を極めた者の内的虚無を告白し、また「箴言」においては彼の卓越した知恵の言葉を集めております。また「雅歌」では男女のロマンスを美しく歌いあげておりますが、クリスチャンの立場からは「神と人の愛の象徴」と理解されています。



2.主要なエピソードとその霊的意義



2.1.主への願い求め

物 語

ソロモンは即位に際して主が彼のもとに現れ、「あなたに何を与えようか、願え」と言われた時、富も、財宝も、誉れも、長寿も求めずに、ただ「知恵と知識を私に下さい、そうすれば、私はこの民の前に出入りいたします。さもなけば、だれがこの大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか」と言いました。彼のこの無私の願いはを喜ばせ、その求め通りにソロモンは知恵と知識に満たされたのみでなく、結果として富と権勢をもから与えられました。彼はその知恵と知識をフルに用いて、イスラエル王国を確立し、その栄華の極みをもたらすのです。


霊的意義

当初ソロモンは主を愛し、父ダビデの言葉どおり主に忠実に仕え、主も彼とともにおられ、そのなすところはすべて祝福されました。すなわちソロモンは自分自身の栄華とか王権とかの確立を第一に求めるのではなく、自分に委ねられた神の民を治めるためにまず知恵と知識を主に願い求めました。新約においてイエスは「まず神の国と神の義を求めよ。そうすればそれらのもの(生活の糧とか私たちの必要の満たし)はすべて添えて与えられるであろう」と言われました。自分を最後にしてまず神の御旨を求めるならば、神が私たちのあらゆる必要を顧みて下さるのです。ソロモンも王位についた当初はそのような心と霊の状態にあって、それは主の目にかなっていたのです。


2.2.絶頂から後退へ

物 語

ダビデは主のための神殿を建造することを願いますが、はその業はソロモンに委ねられることを宣告し、ソロモンにおいてダビデに約束された王国の確立を実現し、またご自分の神殿の建造をなさしめます。ソロモンはあらん限りの金銀財宝をもって7年間を費やしての神殿を建造し、その完成の暁においても遜りつつに奉献します。また13年をかけて王宮を建築し、その栄華は極みに達します。そしてはソロモンに対して「あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように私の前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、わたしがあなたの父ダビデに『あなたには、イスラエルを支配する者となる人が絶えることがない』と言って契約を結んだとおり、あなたの王座を確立しよう」と約束されます。

当初ソロモンは父ダビデの言葉どおりに主をおそれつつ歩んでおりましたが、物質的富や名声が高まり、彼の王としての立場が確立するにつれて、霊的には徐々に後退へと向かいます。王宮の建造のために民は疲弊し、異教の女を妻や妾として迎え、その総数は1000人におよび、彼女たちが王宮においてそれぞれの神々を礼拝することを黙認し、その結果ソロモン自身の霊的状態も後退しました。そしてついにの不興を買い、彼の王国が分裂することの宣言を受けるのでした。BC931年彼の死によって王国は分裂し、ソロモンの子レハブアムは南王国(ユダ)を、ヤロブアムは北王国(イスラエル)を受け継ぐことになるのです。その後のそれぞれの王国は霊的にアップダウンを繰り返しつつ、しかし完全にに立ち返ることのないまま、それぞれバビロンとアッシリアに滅ぼされる運命に陥るのです。


霊的意義

ソロモンの40年間の統治期間の前半は父ダビデの言葉どおりに主に聞き従った結果、彼はあらゆる面で祝福され、その王国は富と名声で包まれ、その黄金期を迎えます。しかしながらダビデと同様、その支配が確立するや、ソロモンも主を忘れ、他国との同盟関係や自らの富に頼るようになり、さらには王宮において異教の女たちによる偶像礼拝を許容するなどの妥協的態度を取るようになります。すべて彼の知恵と知識は神によるものであったにも関わらず、彼はその源であるお方を忘れ、その方が与えて下さったものに心を置くようになるのです。これはまさに偶像礼拝の罪であって、偶像礼拝とは何も直接的に像を拝まなくても成立するのです。すなわち主以外の存在を当てにし、信頼し、心を寄せ、それに自らの生存の保証を置くことに他なりません。

この偶像礼拝は両王国において、特に北王国において著しく、何度も何度も繰り返された罪であり、それこそが両王国の滅びの根本原因であったのです。すなわち彼らはまことの神であるに立ち返ることがなかったのです。またソロモンは女たちへの肉的愛情によってへの貞潔さを喪失します。彼の女性に対する執着は一種の病的なもの(Addiction)とも言えるレベルに達しております。この女によって罪に誘われることはアダム以来、ダビデにおいても起きたことでした。女はしばしば敵によって欺かれます。男はその女に妥協を許し、罪を犯します。しかし神は「女のすえ」によって人類の罪を贖ってくださったことも事実なのです。



3.神の全計画における意義



神はダビデとの間においてその王権と王国の永遠性の契約を結ばれます。そしてその子ソロモンにおいてその物理的実際としての地的王国の栄華は極まります。しかしそれもあくまでも一時的なものであることが分かります。すなわち神とダビデの間の契約はあくまでもイエスにあって実現されるべきものであったからです。ソロモンの王国はイエスの王国のいわばサンプルとしての絵本に過ぎません。

事実、新約聖書においてイエスは命の素晴らしさを指摘して、「野の花を見るが良い。栄華を極めたソロモンでさえ、これほどに着飾ってはいなかった」と言われ、また「見よ、ここにソロモンよりも優った者がいる」と神の子としてのご自身のアイデンティティーについて宣言されました。事実イエスのもたらす王国はソロモンのそれにはるかに優るのです!現在の教会時代においてはそれは霊的な存在であり、キリストの体なる教会においてその実際の前味わいに与ることができるのですが、来るべき時代においては文字どおり、イエスによる永遠の王権と王国が確立し、その支配と統治は永遠のものであるのです!ハレルヤ!


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