Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2005.12.18



神のエコノミーN

−大祭司の装束−

大祭司の装束はキリストの御性質と御業を意味します。大祭司アロンは自分のためにも血を携えて2回至聖所に入りましたが、まことの大祭司イエスはただ1度で永遠の贖いを終えられました。彼は自分のための血は要らなかったのです。かくして今私たちはこのような大祭司を持っていることを絶えず意識しましょう。エポデは金、青、紫、緋色、白からなっていました。金はキリストの神性また義を意味します。他の4色は幕屋の覆いと同じです。天から来られたキリストは、皇帝として、イエスラエルの王として十字架につけられました。その生涯は罪のない、シミも汚れもない真っ白なものでした。また両肩にはイエスラエルの12の名が書かれたしまめのうが肩当にはめ込まれていました。肩は力・権能を意味し、同時に主は私たちをその両肩で担いで下さるのです。帯は仕える者の象徴であり、主は仕えられるためではなく、仕えるために来て下さったのです。私たちはこのようないのちの力によってメルキゼデク系の大祭司とされた方をもっているのですから、はばかることなく大胆に時期を得た助けを受けるために恵みの座に近づくことができるのです。モロモロの問題に押しつぶされるのではなく、それを恵み座に持ち来たれば、大祭司イエスがとりなしをしてくださるのです!



1.神のご計画(=オイコノミア)

・神の家族を得、その家族の中で管理・配分・配剤を行うこと(エペソ1:10;3:2;テトス1:7)

・究極的には神の子たちの出現(ローマ8章)


2.幕屋建造の順序(出エジプト25-30章;1コリント2:9)

@契約の箱→パンの机→燭台→幕屋の幕→壁板・横木→至聖所の垂れ幕→入り口の幕→祭壇→庭→常夜燈→祭司服→聖別→祭壇→いのちの代償→手足の清め→聖別の油→香料

L大祭司の装束(28:1-38)=真の大祭司なるキリストのモロモロの徳性の絵
・アロン(影)とイエス(実体)との違い:アロンは自分と民のために血を携え、2度至聖所に入ったが(ヘブル9:7)、イエスはただ一度(ヘブル9:12)
・デザインは神の配剤による(出エジプト35:30-35)


(a)エポデ:「着る」の意味、祭司の服(1サムエル2:28;出エジプト28:6)
・金、青、紫、緋色、亜麻布(比較:幕屋の覆い):金はキリストの神性、義;青は天から来たキリスト(ヨハネ3:13;1コリント15:47);紫は皇帝;緋色はイスラエルの王;亜麻布は巧みな細工で綾なされたキリストのシミのない生き方(ヘブル7:26)


(b)帯:大祭司のエポデに付随、細やかな業を意味し、仕える者の象徴(ヨハネ13:4,5;ルカ12:37;マルコ10:45)

(c)肩当て:エポデの一部、金の環でつけられ、二つのしまめのうに12部族の名が刻まれる→イエスの主権・権能によって民が運ばれる(イザヤ9:6;ルカ15:6)
(つづく)



■暗証聖句: ヘブル9:11−12;マルコ10:45

しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。