Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.05.06

神の国の奥義(14)


イエスの究極の願いは何でしょうか?それは御子が御父を現され、御父を証しされることにより、私たちも御父を知るようになることです。御父は世の基が置かれる前からイエスを愛され、その愛の中で交わりを持っておられました。この方が肉体を取られて人類の時間と空間に介入して下さったのです。神を見た者は誰もいませんが、ただ御子だけが神を証しされたのです。御子は御父を証しされ、御霊は御子を証しされます。こうして三位一体の神が私たちのうちで実体化されるのです。神は幕屋や神殿の至聖所ではなく、人の霊のうちに住まい、人を住まいとされる方です。このような考えは人には思い浮かびもしませんが、神がそれを望まれるのです。何という栄光でしょう!私たちはこのようにして御子の栄光に与りますが、この時注意すべきは人からの栄光を受けないことです。人による誉れは虚しく、人をスポイルします。これはこのキリスト教界を見ていれば容易に分かることです。それを意志を用いて拒否すること。現経綸においてはキリストの栄光とは十字架であり、それは死を経て、復活に至ることによって現れます。この時、私たちがイエスのおられるところにいることを実感するでしょう。それは天の御座です。そして私たちのうちに父・子・聖霊が住まう時、キリストが私たちの内におられ、また父の愛が私たちの内に、またお互いの間にあるようになるのです。このような愛による相互の住み合いこそが神のご目的であり、それは信仰によるのです。ポイントは愛によって働く信仰です!


<<週報&メッセージアウトライン>>
pdfファイル)


=イエスの祭司的いのりD=


1. イエスの最後の祈りにある私たち(ヨハネ17章24-26節)

@私たちのポジション:主イエスのいるところに、主イエスと共にいる(24節)→御座にキリスト共に座している(エペソ2:6;参照ヨハネ12:26;13:36)

A私たちの特権:御父がイエスを愛して与えた栄光を見る(24節後半)→キリストの死と復活に結合される(2テモテ2:11;ローマ8:17)参考:人からの誉れではない(ヨハネ5:41)

B私たちの知識:御父が御子を遣わされた事→私たちが父を知るようになった(25節;ヨハネ5:36,37;1ヨハネ4:12;理由14:10)→いずれ完全に知るようになる(1ヨハネ3:2)

C私たちの得たもの:父の名=父ご自身(26節)→父と子が聖霊によって私たちの内に住まわれる(ヨハネ14:7,23)→父が子を愛された愛が私たちの間にもあるため、またイエスが私たちのうちにおられるため(ヨハネ15:9)

 ※注意:愛と信仰の関係
  ・信仰によらないものはすべて罪(ローマ14:23)→信仰によらない愛は幻想(
Colin Urquhart)にしてヒューマニズムに過ぎない(Dr.Luke
  ・愛のない信仰はむなしい(1コリント13:2)
  ・大切なのは愛によって(
dia:通して)働く信仰(ガラテヤ5:6)


【暗証聖句】

17:24 父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。

17:25 正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。

17:26 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。