Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.06.22


時を見る目P

今日、ニッポンキリスト教においても信心を人生における成功の手段としています。御言葉を商品にするばかりでなく、自分の肉に仕えるものとしているのです。彼らの動機は、自己の腹を満たすこと、自己の栄光、そしてこの世において自己存在の記念碑を打ち立てることです。肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢をむしろ積極的に満たそうとしているのが、バビロン化したキリスト教で行われていることです。パウロはテモテに対して、食べ物と着る物があれば満足すべしと言われました。パウロは富に処する道も、貧に処する道も知り、あらゆる境遇で満足することを学びました。彼の神の前での成功の鍵はここにありました。私たちは人の前で、社会の中で成功することを求めるのではありません。それは付録です。私たちは地上の富を得るのではなく、神の富を楽しませてもらうのです。そもそも私たちは役に立たないぶどうの木であり、ぶどうの木はただ実を結ぶことにその本質があるのです。そのために私たちは自分の居場所を知ることです。そこは復活のキリストのうちであり、そこにおいて私たちの活動は種まきと、収穫です。しかもそれは他の人が働いた結果を得るのです。よって私たちに栄光は一切ありません。すべてはキリストから始まり、キリストにあってなされ、キリストによって成就されます。私たちはただそのキリストの富を楽しむのです。それはいのちの楽しみであり、生きるそのものを味わうことです。バビロンからの解放は、十字架におけるキリストの死と復活へと一体化されることにあります。


<<週報メッセージアウトライン>>
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=バビロンからの救い=


(1)バビロン化したキリスト教:信心を利得のために用いる(テモテ6:5)→今日の福音の汚染

(2)まことの富と偽りの富(テモテ6:10;17)

(3)私たちのアイデンティティ:役に立たぬぶどうの木(エゼキエル15章)→実を結ぶことのみ(ヨハネ15章)→新しいぶどう酒の産出

(4)私たちの生きる場:まことのぶどうの木である復活のキリスト(ヨハネ15章)→パウロの生き方(ピリピ4:12)

(5)私たちの活動:種まき(2テモテ4:2)といのちの刈り取り(ヨハネ4:38)→キリストにある生活者となる

(6)刈り取りの鍵:他人の労苦の結果を得ること→栄光はただ神に!