Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.11.02


流れるままに(10)

この世の国は覇権を誇り、栄耀栄華を求めます。その国は自己により、自己にあって、自己のために建て上げられます。様々な制度、システム、文化や宗教など、人間はこの歴史の中で営々と構築してきました。これはすべてアダムとエバがエデンの園で行った取り繕い、あの木の葉を由来としてます。神の保護・満たし・価値を喪失した後、人間は自らの木の葉の業を行わざるを得なくなったのです。特に今回は宗教の領域を見てみます。律法学者・パリサイ派の教えはモーセの座にある者として正しいのですが、彼らの行いがそれを否定します。彼らの立場は旧いシステム、レビ系の祭司制度のものであり、キリストはそれに完全に従われました。しかし律法学者はその律法が示している本人を忘れ、外側の業、しかも人にアピールするための、人の上に立つための、律法の本質から外れた行いでした。基本的にこれらの行いは自分で自分を助ける動機が潜んでいます。キリスト教も同じです。キリスト教と言うひとつのシステムにおいて、その方自身を忘れ、その方を排除している宗教が営々と築かれてしまったのです。これはバビロン化の大きな特徴です。端的に言って、バビロンとはキリストを排除したいのです。今後、今回の経済クラッシュで世界は経済を通して関係を深め統合への動機が高まるでしょう。本質は信仰の問題ですから、経済と霊的要素の結びつきが深まるでしょう。あの者は経済を通して人々をコントロールするでしょう。さらに霊的にも束縛するでしょう。それはすなわち宗教と経済の統合体であり、本質はキリストを排した自助システム、すなわち木の葉の究極の姿なのです。 


<<週報メッセージアウトライン>>
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=宗教vsいのち=

聖書:マタイ23章

@律法学者とパリサイ派の特徴:現代キリスト教と同じ光景
 ・言行不一致
 ・見せるための行為
 ・高められたい動機
 ・天国を閉ざす
 ・改宗者を悪い者とする
 ・言い伝え・俗説に落ちる
 ・実質を欠く;外面の綺麗さと内面の腐食
 ・預言者を拒絶する
 ・正しい人の血がふりかかる
 →アダムとエバの木の葉に由来
 
A宗教の本質=得自→得自;すべてを自分でなしたい(=バビロン化)

Bいのちの道の本質=捨自→得自;すべてを神ご自身がなしたい(=キリスト化)

C葛藤の本質:自己vsキリスト→あなたの人生では、どちらが勝者で、どちらが敗者?