Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.11.16


流れるままに(12)

キリストはご自身の苦しみを通して私たちの贖いをまっとうされ、私たちを聖なる者・完全な者としてくださいました。それは主の分であり、私たちは与ることができません。しかしパウロは主の苦しみの足りないところを、自分の体で補っていると言っています。もちろんこれは贖いのためではありません。キリストの体のためであり、敵によって占拠されているこの地を主のものとするため、王国を地上にもたらすための苦しみです。まことの福音、純粋な神の言葉を語るならば、必ず苦難を受けるでしょう。しかしそれは私たちを成長と栄光へともたらします。真に神の心に沿った苦しみや悲しみは私たちに霊的な益をもたらします。古の昔、モーセは民の不平や不満を主に取り次ぎました。モーセはキリストの型です。神はモーセの霊を70人の長老たちに分かつことにより、その重荷を分散しました。これは地上すなわち荒野の生活を共にまっとうするために必要なことです。原則は新訳でも同じです。私たちは単に重荷を分かち合うのではなく、まずは苦難の救い主キリストの霊を分けていただくのです。この時キリストの苦しみの足りない分を担うことができます。今の世は不条理な苦しみと痛みに満ちています。人々の心が引き裂かれているのです。その苦しみは人を破滅へともたらしますが、しかし神はそれを用いてさえ、ご自身の栄光を現します。神の言葉があるとき、それはけっして虚しく発せられることはなく、必ずそのとおりに成就するのです。主の手が短いことはありません。霊を分けられ、苦しみを共有する事により、私たちのあらゆる領域へと届く御手と御言葉の力に与りましょう。 


<<週報メッセージアウトライン>>
pdfファイル)


=苦しみを共有する=

聖書:民数記11章;イザヤ55:11;ピリピ3:10−11;コロサイ1:24

@苦しみの種類:罪・不従順の結果としての不毛な苦しみといのちへと至る熟成するための苦しみ(cf.ヘブル2:10;2コリント7:9-10)

A重荷を共有する原則(民11:17):霊を分かち合う→真のモーセはキリストであり、私たちは彼の霊を分け与えられて、キリストと苦しみと重荷を分かち合うことができる(ピリピ3:10-11;コロサイ1:24)

B苦しみを担うことは主の栄光に与ること(1ペテロ4:13)→いわゆる「ハッピーになれる福音」や「リバイバル音頭」は浅薄であり、一種の霊的詐欺

C民の不平に対する主の証し(民数記11:23)→主の業はすべて御自身を証するもの


●暗証聖句●

・主はモーセに言われた。「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」

・そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。

・今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。