Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2009.02.01


真の捧げ物

神の方法はひとつのパタンがあります。それは神の価値観によるものであり、一言で言えば、ご自身ですべてをなさることです。人はカインのように自分勝手な方法によって神に捧げ物をしますが、神はそれを拒否されます。第一の者は地の物であり、それは神を喜ばせることはできないのです。第二の人アベルは神の価値観を知り、それに従って捧げ物をし、神に受け入れられました。神は第二の者を受けるのですが、彼は死へと渡されます。その代わりにセツが与えられます。神の計画はセツ系列によって成就するのです。ここにも死と復活の原則を見ることができます。死を克服し、復活を生み出すのは神にしかできない業です。それゆえただ栄光は神にのみ帰されます。セツは死と復活を経たキリストの型であり、その子エノシュは「弱さ」の意味です。彼は自分の弱さを知って、最初に主の名を呼び始めました。エクレシアとは主を呼び求める人々であり、主によって名を呼ばれ、召し出された人々でもあります。私たちの礼拝はまず体を生ける供え物とすること、そして真理と霊によって礼拝するのです。人間の伝統や方法によるのではなく、その実質、つまり心が問題です。その心の真実を語り出すことが告白であり、神はその告白に続いて、御名を呼べば救いを与えること約束されます。すでに捧げ物の実体であるキリストは神を満足させ、ご自身を私たちに下さいました。この方にあって、この方のゆえに、この方に頼りつつ、神を配すること。そのために御霊が下っているのです。自己を排した真の礼拝を学びましょう。 


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=真の捧げ物=


聖書:Tコリント15:45-47;創世記4章;詩篇50:14-15;ヨハネ4:23−24;ローマ12:1;Tコリント1:2

@神の原則:最初のモノは拒否される(Tコリント15:45-47)
 例:カインとアベル、エジプトの初子、エサウとヤコブ
 →最初の物には人の労苦が混ざり、罪の意識と贖いの必要性が欠如している
A二番目のアベルの死、セトとエノシュの誕生
 カイン=得た;アベル=発散・蒸発・呼気;セト=定められた者;エノシュ=弱い者
 ・カイン:自己の意志による礼拝;神に対する怒り;罪祭を捧げない;神に対して嘘をつく;放浪者;しかし神の配慮を受ける→第一の人;魂の人(1コリント2:14)の型
 ・アベル:罪の意識と贖いの必要性を知る=神の方法で礼拝する→第二の人;霊の人(1コリント2:15)の型
 ・セト:キリストの復活の型→神のご計画はセト系によって
 ・エノシュ: キリストから生まれた私たち(=エクレシア)の型→自分の弱さを覚え、主の御名を呼ぶと同時に呼び出された者
B宗教儀式ではなく(詩篇50:8-13)、心の真実の表現(=告白;同14-15節)
 告白=神と同じことを語る
C私たちの礼拝:身体を生ける捧げ物とし、同時に捧げ物の実体であるキリストを告白すること→霊と真理による礼拝、i.e.自分を退け、自分から離れること

●暗証聖句●

最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。

自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。

告白を神へのいけにえとしてささげ/いと高き神に満願の献げ物をせよ。

それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって/お前はわたしの栄光を輝かすであろう。

コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。