Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2009.09.06

完全を目指して

旧約では外庭、聖所、至聖所が明確に分けられ、聖所には祭司のみ、そして至聖所には年に一度大祭司のみが入ることが許されました。その聖所と至聖所を隔てるのが、垂れ幕です。この隔ての垂れ幕は、人が罪を犯したために設けられたものであり、本来必要のないものでした。イエスが地上に来られ、十字架にかけられた目的は、本来必要のなかったこの垂れ幕を除くためです。罪のある肉のために設けられた幕が、罪のない肉体、すなわちイエスが裂かれる事で取り除かれたのです。イエスが十字架にかけられたことでキリスト者は聖とされ、垂れ幕は除かれ、幕屋である人の条件が整いました。外側は、旧約時代の外庭と同じく騒がしいのですが、内側にできた神殿には神の灯のみがともり、静寂そのものです。そして祭司であるキリスト者は、外側がどれだけ騒がしくとも大胆に至聖所に入り、主とイエスの交わりに加わり、賛美のいけにえをささげることが出来るのです。このように私達が完全となる条件は整えられました。しかし「罪(単数形)」が残されているため、地上では完全になれません。私達にとって重要なことは、完全となる条件は整えられたという「事実」を、「私の現実」としていくことです。これが完全に向かって行く(キリスト者の成長)ということでしょう。


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=完全に向かって=

1.旧約の幕屋:出40章
 外庭聖所至聖所

2.新約の幕屋:キリスト者
 
 2-1新約での神の宮
  人は神の神殿マタイ26:61、1コリント3:16-17
  体の中の霊は、至聖所(1コリント6:19)、御父と御子が臨在される(ヨハネ14:23)

 2-2幕屋を完成されるときのイエス
  父と子の関係ではなく、裁く神と裁かれる人の関係。マタイ27:46、詩篇22

 2-3新約の幕屋の完成
  神殿の幕が裂かれた時、イエスのからだも裂かれ、神と私たちとを隔てている罪が取
  り除かれた。(ヘブル10:17)
  ⇒至聖所に至る生きた道が開かれ、そこで主と交わっておられる。(ヨハネ14:23、1ヨハネ
1:3)
  ⇒イエスを信じるものはだれでも(イエスの血によって)大胆に至聖所に入り、主に会い、その交わりに加わることができる(1ヨハネ1:3)

  2-4幕屋である人の状況

  幕屋の外で人は罪を犯す(1コリント6:18)。また、外庭はとても騒がしいが、至聖所は静か   
  で穏やか。⇒クリスチャンのあるべき姿。

  2-5注意点

  会見の場では自分の火をおこしてはならない(レビ10:1)。至聖所は神の光のみ!主は
  やみの中におられる。詩篇18:9、11、15-16、30、出14:20。自分の光はともせない。
  自分の光⇒自分の栄光、自分の力でともそうとする。主との交わりの妨げ。cfパリサ
  イ人と取税人の祈り(ルカ18:10-14)