Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2010.03.28

"初めの愛(agapr)"の確認

単に机上の問題ではなく現実の信仰生活の問題として、アガペーの他にヒューマニズム、親子の情愛・・・というこの世で”愛”と称するものを、イッショクタに扱って、特に区別しようとも思わない人がいます。ですから一度エクレシアの中でトラブルが発生すると、その群れ全体に”愛が無い!”と連呼しても、どんな類の愛が無いといっているのか疑問を抱いたり、最近首相が所信表明演説で”愛”を連呼するのを見て、エクレシアの外側の人たちにすべて同じ愛に思われるのは心外です。主が終末のことに触れて、不法がはびこることによって人々の”愛”がますます冷え込んでいく預言にあって、エクレシア内には熱いアガペーが発せられることを主に期待します。主から離れたことのあるものとして言わせてもらえば、”純粋な”アガペーの欠乏を、霊の自覚症状として訴えるのです。結論をはじめに言えば、黙示録でエペソの教会に指摘されているような”初めの愛”から離れてしまって、あるいは離れる度ごとに、そこから悔い改めるのではなく、”初めの愛”にとどまり続けるべきです。−”初めの愛”が何であるのか−十字架の言葉は神の証です。そして花婿である主の証です。私たち花嫁はその言葉に”信仰告白”という言葉で応答しました。このことはキリストである夫と妻であるエクレシア個々人のオリジナルな関係でいえば、両者とも初体験なのです。人としてこの世にこられた主は、十字架につけられる前にも死からよみがえって天に上げられる前にも一貫して「父が私を愛し、私があなたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい」と命令されていますが、私たちはこの命令以前にすでに初体験を得ています。これを大切に!


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参照聖句:黙2:14、マタイ24:12、エレ2:2、ヨハネ13:34、15:9