摂食障害から癒された私-その3

早瀬智加子

私のことをお話しさせていただくのですが、この馬橋教会では年に1回程度、このような「コイノニア」という文集を発行しています。毎回、教会の仲間の何人かが、どのようにイエス様を信じるようになったかを書いているのですが、お互いを知って親しくなるためにとても役立っています。この中にある私の文章をまず読ませてください。
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大好きなアメリカに行って、すべてをやり直そうと思いました。総合商社に入社して3年がたっていましたが、劣等感に悩み、残業に疲れ、心身ともに限界に来ていました。会社をやめて、一人アメリカへ渡りました。ホームステイ先のアメリカ人家族はとても温かく、英語学校では多くの友達ができ、夢のように半年が過ぎました。

帰国後、少し増えた体重を気にしてダイエットを始めました。食べるのを我慢すればするほど、面白いように痩せて行きましたが、ある時から猛烈な食欲におそわれるようになり、私は過食症になりました。食べても食べてもまだ食べたくて、心の中の孤独感やむなしさを食べ物でうめるかのようでした。もうこんな事はやめようと何度思っても、やめることができませんでした。眠る前にはいつも、明日など来なければいいと思いました。追いつめられた気持ちで、私は再びアメリカを旅行しました。日曜日、ある教会で一人の日本人牧師に出会いました。彼は私に言いました。
「このペンはどうしてここにあるのだと思う?」
「このペンをこのように作った作り手がいるから、ここに存在するのでしょう?」
確かに世の中、人間が作り出した物であふれている、一つ一つに作り手と目的がある。そう思った時、人間が目的を持って何かを作るように、神という造り手が、目的を持って人間とその住む世界を造ったと考えてもおかしくはないと思えました。


日本に戻り、教会へ通うようになり、間もなくイエス・キリストを心に受け入れクリスチャンになりました。けれども、特別な変化など何もありませんでした。祈っても祈っても過食は止まりませんでした。劣等感は消えませんでした。

私には、一番大切なこと、神様がありのままの私を愛してくださっているということがわかりませんでした。父はお酒を飲んでは母に当たる人でした。母はしつけに細かい人でした。私は子供の頃から、かわいそうな母のため、もっと良い子にならなければ、もっと母の期待に応えなければと思ってきました。ありのままの自分が受け入れられる存在だとは決して思えませんでした。けれども、そんな私に神様は「私が愛しているあなたを、あなたも愛しなさい」と語ってくださいました。自分では自分をどうすることもできない、でも神様はこんな私を愛してくださる方、そして私を変えることができる方なのだ。そうわかってきた時、喜びと感謝が心にあふれてきました。

暗い家庭でした。両親は不仲で、兄は10代で家を出ました。たとえクリスチャンになっても、ずっと抱えてきた寂しさ悲しさは決して消えはしない、心の中が明るくなることなどないと思ってきました。でも、そうではありませんでした。寂しい子供時代を過ごし、過食症に苦しみ、世の不平等をどんなに嘆いたかしれません。けれども、そんな闇の中にいたからこそ、イエス様がどんなに素晴らしい方であるか、私にとってどんなに必要な方であるか、はっきりわかったのだと思います。今はこれまで生きてきた道を感謝して受け取ることができます。

過食症は完全にいやされました。私をいやしてくださったイエス様は、私の家族の心をもいやすことのできる方です。私は家族のいやしと和解を求め、動き始めています。
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以上は約1年前に書いたものです。
過食症だった頃、私は過食してしまうのは自制心が足りないせいだと思い、自分を責め、こんな恥ずかしいことをしている自分に生きている価値などあるのだろうかと思っていました。けれども、これが心の病であり、特に親との関係に問題があって起こるものだと知ってからは、あの家に生まれなければこんな辛い思いをしなくて済んだのだと家と親とを恨みました。自分がひがみっぽいのも、ねたみやすいのも、あの家に生まれたせいだと思いました。自分のことも嫌い、自分の家も嫌いでした。けれども、運命をのろって、親を責めて、自分を責めて、結果は自分の心を暗くして一層みじめにするだけだったと思います。こんな私でしたが、イエス様にお会いして、いつしか変えられたのだと思います。目の前が明るくなり、今は何も恨む気持ちはなくなりました。両親には、仲良く幸せに暮らしてもらいたいと願うばかりになりました。


昨年、父を初めてアルコール病棟へ入院させることができました。1、2週間に一度は父に面会するため、八王子の病院へと向かいました。父が入院中の病院から外の眼科に通う必要が出てきてからは、父に付き添い、母と私の3人で外出するようになりました。父は外出を楽しみにするようになり、3人で食事をするのを楽しみにするようになりました。

入院は約7ヶ月でしたが、昨年の11月7日、退院の日には兄が車で病院まで来てくれました。家族4人で車に乗ったことも、外で一緒に食事をしたことも初めてのことでした。その後、父は自宅でずっとお酒を断ってくれていたのですが、5月の末、とうとう飲んでしまいました。がっかりして主治医に相談すると、こっそり抗酒剤という薬を飲ませて体をアルコールを受け付けない状態にしようと言いました。父は痴呆も始まっているので、体で覚えてもらうしかないかもしれないと思いました。ところが、母に電話してみると、不思議なことに父は飲み続けていないと言うのです。抗酒剤も使っていないのに、不思議に飲むと具合が悪くなり、飲めないような様子だと言うのです。私は「神様、ありがとうございます。どうかこのまま飲めない状態にしておいてください。そして父がもう飲むのを止めますように。」と祈っています。

神様が私を愛してくれているのなら、どうしてこのような苦しみを与えるのか、どうして早く助けてくれないのかと思ったことがありました。けれども、辛くて苦しくて、そんな中から呼び求め続けて、目には見えないけれども、生きて働かれる方に、確かにお会いすることができたのだと思っています。そして、その方は今、私の内にもおられ、私を強めてくださっているのを感じています。自分のことも家族のことも諦めなくて良かったと思いますし、これからも諦めたくないと思っています。

「コイノニア」という言葉はギリシャ語で、「交わり」という意味があるそうです。それから同じギリシャ語に、「エクレシア」という言葉があって、日本語では「教会」と訳されているそうですが、本当は「呼び出された人々」という意味だそうです。私は、同じイエス様の呼びかけに応えた人達、この教会の仲間達に受け入れられ、支えられ、励まされて、イエス様の愛をはっきり知ることができました。喜びも悲しみも分かち合いながら、これからもイエス様のもと、仲間の皆と共に歩んで行きたいと思っています。(2002年7月11日、馬橋キリスト教会、「聖書クラス」にて)