神の愛に満たされて


秋田博美 (Hiromi Akita)


■女史は現在SOHO Worker。小生のHPをご覧になってメールを下さり、その証しが同じような境遇にある女性の素晴らしい励ましとなりますので、ここに掲載をお願いしました。



はじめまして

私は大阪に住む秋田博美と申します。今年の8/20に福岡中部教会の礼拝に参加させていただく御縁をいただき、8/27より地元大阪の教会に通っております。私自身、初心者で(この表現が妥当かどうかは疑問ですが)、キリスト教における知識においても、信仰心についてもよくわかっていない部分がありますが、今はなぜか強く神様に向かう自分がおり、常に聖書を読む毎日があります。

どなたもそうだとは思いますが、自分の人生が完全な満足を得られず、希望に対してかなわない現実に不安を抱くことがあると思います。そんなとき、私はこのHPに出会いました。その中でも「励ましの言葉集」は私を強く勇気づけ、そのような言葉に感謝をもって涙する日々です。

今回私が教会へ通うことになった経緯など、私のことを書きたいと思います。長くなりますので、お時間のある時に、目を通してください。


私は現在35才で三女を持つシングルマザーです

高校卒業後大学へ進学しましたが、中退して、19才の誕生日に結婚しました。その後、19才で長女、21才で次女に恵まれましたが、価値観の違いなどから結婚生活を継続することができず、24才の誕生日に子供を連れて離婚しました。母子家庭として、昼は派遣社員として働きながら、夜は水商売をするなど、自分に与えられた使命として生きてきました。

25才の時、かねてからの夢であった英語を学びたい思いに駆られ、大学進学を決意し、26才で大阪外国語大学の二部生として社会人入学しました。その時、7才年下のある男性と知り合いました。年齢差や自分の持つ葛藤がありましたが、どうしても自分の気持ちを抑えることができず、結局交際し、その後28-29才の2年間子供達とともに同居したことを含め、5年間交際が続きました。そして、同居して半年後、妊娠していることがわかり、悩んだ末、生むことにしました。

実は、27才の時にも妊娠し、2人で出した結論は「結婚はしない(入籍はしない)」、「子供が成長するまでは一緒に育てる」というような中途半端なものでしたが、生まれてくる命の大切さを考えると、そのような答えでも私にとってはとてもありがたいと感じ、彼の親が住む福岡へ許可を求めに行ったのです。

しかし、彼の母親は逆上し、「よりにもよってこんな女を連れてきて」「7才も年上で、離婚歴もあって、おまけに子供もいるのに」と大反対でした。親戚を集められ、結局、彼自身も説得されてしまい、まわりに人に責められた私はどうすることもできませんでした。大阪へ帰りたいという私の気持ちも聞き入れられず、逃げ出すこともできませんでした。それで、母親の反対がありましたが、これからも彼と交際を続けてもかまわないという条件で堕胎を了承せざるを得なかったのです。


それは悲しい決断でした

次の日、私は福岡の病院に連れていかれ、子供を死なせてしまうことになったのです。その時、子供は5ヶ月を超えており、埋葬手続をしなければならないほどでした。大阪に二人で戻った後、彼は自分の責任の重さ、私の悲しみを受け止められず、私から逃げ出しました。私は悲しみにくれ、落ち込み、自殺まで考えましたが、どうしても彼と話さなければという思いに駆られ、何とか話をすることができたのです。その時初めて彼からの謝罪と「怖かった」という思いを聞かされ、それからも交際を続けていったのです。

こういった経緯がありましたので、2度目の妊娠も、いくら彼が「生まないでくれ」「今度は逃げないから」と言っても信用することができませんでした。「彼を失っても彼の分身を私の一生をかけて育てて行こう!」「自分で決意したことは誰も責められない」「後悔することはない」と29才のときに生みました。出産後、3ヶ月までは彼と同居しましたが、子供が産まれたことが彼の両親の知ることとなり、彼は大学の寮へと移っていきました。

私はそれでも彼を追い続け、友人達の協力もあり、しばらくは友人として穏やかに過ごすことができました。しかし、認知問題になると彼は消極的で、結局はこちらから裁判をすることになりました。裁判ではDNA鑑定まで行われ、彼の母親が裁判に同席することになりましたが、無事終了し、その後、彼は福岡へ両親と帰って行きました。それが3年前の7月です。

それ以来、私から手紙を送ることだけで、彼の様子はわからず、私自身、毎日仕事が手に着かない状況でしたが、三女の成長を見るにつけ心穏やかになっていきました。おそらく彼は味方ばかりの福岡で、自由に生きているのだろうと思っていたのです。ところが、今年3月にどうしても福岡へ行きたい!会いたい!という思いに突然駆られ、仕事が繁忙期であるにもかかわらず、1週間の休暇をとって、三女のパパ探しの旅に出かけました。会えないかもしれないのに・・・。


そこで、驚いたことがあります

福岡へ到着2日後に彼から自宅に三女の小学校入学のお祝いと愛情溢れる手紙が届いたと私の母親から連絡がありました。その手紙をFAXで福岡の友人宅へ送ってもらい、確信したのです。「絶対会える!」。私たち(長女、次女、三女との4人)が福岡へきていることは知らないのに、その時に彼からの初めて手紙が届いた事実に何らかの力が働いたとしか考えられなかったのです。

春の福岡行きでは数年ぶりに彼に会うことができ、とりあえずは彼の母親も歓迎してくれ、喜びとともに大阪に戻ることができました。そして、今年の夏も福岡へ行ったのです。その時に彼に告白されました。「福岡へ戻ってきてからは、人と会うことを避け、不安で、怖ろしくて、いつも死を考えていた。そこで、導かれるように昨年暮れに教会へ通い、4月には授洗した。」そのことを聞かされて、一緒に福岡の彼の母教会へ行く機会を与えられ、大阪に戻ってきてからも教会へ行くことを薦められました。不思議なことに、私は彼と別れてから、悔しいときに流す涙は数度ありましたが、教会に入ったとき、牧師さまの話を聞いたとき、涙が止まらなくなったのです。それは大阪でも同じでした


その時のテーマは「自由な人として生きよ」でした

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。異邦人の中にあって、りっぱに振舞いなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。人の立てたすべての制度に主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行なって、愚かな人々の口を封じることは、神のみこころだからです。あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい(ペトロの手紙一.2:11-17)

どんな状況であっても、主は必ず私たちを愛してくださっている。だからこそ、主のために従うことができる。また、現在通っている教会の牧師様から大変な思いを今までされてきたけれど、神様がおられたからこそ、肩肘はらず、つっぱらず、ありのままの自分でいられるようになったことを聞かされました。それを聞いたとき、私も生まれて初めてありのままの自分でいいのだと思うことができました。なぜなら、神様が私たちを愛し、そこにいてくださることに気付いたからです。そう思った瞬間、暖かな何かに包まれているような気持ちになり、感謝で涙が止まらなくなったのです。辛かったことも、苦しかったことも、すべて神様の導きであると考えれば、何を苦しむことがあったのでしょうか。

それ以来、聖書の言葉は私の心を打ち続けます。以前の私とは違うと認識させられるのです。なんて優しく暖かいのだろう。「ありのままでいなさい」という言葉のありがたさ。


最近では毎日聖書を読み、神様のことを考える毎日になりました

これには自分自身が一番びっくりしています。私は基本的には無宗教でしたが、私自身の神様(私の神様)は今までも心の中にずっと存在していました。それがキリスト教の神様だったらと、視点を変えてみることにしました。実際のところ、あんまり大きな違和感はありません。驚くほど、すんなりと入ってきたのです。すべてが神様の意志に基づき、神様に守られていると考えることにより、なんて楽になることでしょう!

今までは神様に依存することは弱い自分だと認めることだと思っていたみたいです。自分で何もかも乗り越え、切り開かなければいけないと思いこんでいました。でも、それで、私が神様を受け入れようとするとき、「いいの?神様にゆだねていいの?それってずるくない?」っていうのがあったんです。自己責任を神様に転嫁しているようで・・・でも、そもそもの考え方が違ったようです。

すべてが神様の手の内と考えれば、じたばたとすることもないと思えるようになってきています。よく神様は足下を照らすランプのようと例えられます。今までの私はたった一人で、真っ暗な道なき道を手探りで進み、時には障害物にぶつかり、時には大木を切り倒しながら進んでいっていたようです。孤独で不安で恐ろしい・・・。

でも、今はたとえ真っ暗な道であっても、神様がすべて指し示してくださるような気がしています。かつてはマイナスの感情しかもってもらえなかった彼と神様の話や聖書の話をする毎日です。ただ、やはり彼の母親は私と彼が接触することが大反対で、電話をすることさえ許しません。彼自身も私のことを友人のひとりだと思っていることでしょう。そんなことを考えるとき、神様のことを思ってしまいます。

また、私が確信していることがあります

私の魂は地上においては、もともと彼の魂と一体になるためにあること。知り合ってから、どんな形になるにせよ、お互い9年間も心の中に深く存在していたから。私たちが和解という道に導いてくださったのは、紛れもなく神様であること。

この夏に福岡へ行った際、最後の日に三女の父親と会いました。長いドライブの後、深刻な話をしました。「もしも引っ越しとか、いろいろ環境が変わったら、博美さんはどうとらえる?」と聞かれました。私は「引っ越しなら、全然問題ないけれど、たとえば結婚したら、私は耐えられないかもしれない」と言いました。

彼は「なんで?喜んでくれないの?」と何の疑問もなく尋ねます。今だに彼を想っていることを知られていない私は「とてもむずかしい」としか答えられませんでした。私は決して彼の不幸を願うのではなく、それどころかむしろ彼の心が穏やかで幸せになってほしいと思っています。ただ、大きな心の葛藤があったのです。

その後、彼と喫茶店で話していると、彼は突然聖書を取り出しました。「輪読しようと思って・・・7年前にできなかったから」そこで彼が選んだのは「コリントの信徒への手紙一13章:愛の章」でした。輪読をしながら私は声が震え、動悸が激しくなりました。あまりの言葉の重さに怖れを抱いたのです。彼は私が彼の幸せを願えないことを知ったので、あえてそこを選び、私に自分のいたらなさを自覚させようとしているんだと疑い、自分の未熟さを自覚したからです。

しかし、実際、彼はその日に私と会う前に選んだらしく、私とのやりとりは無関係だということがわかりました。彼はどうして自分がそこを選んだのかわからないと言います。おそらく、お互いに不足している部分を気付かせるために、神様が導いてくださったとしか思えません。私も彼もその日にそのフレーズを読んだことは一生忘れないことでしょう。

それからお互いに「コリントの信徒への手紙一13章:愛」を暗唱できるようにすることを約束し、別れました。「コリントの信徒への手紙一13.愛」は有名な言葉だそうですね。あとから知りました。どれほど深い言葉や導きがこの部分に埋め込まれているのでしょう。まるで、聖書に書かれている言葉に魂があるかのように、いつも私の心に訴えます。

私には忍耐することもたくさんあり、自分の辛さを忍んで、人の幸せを心から喜ぶことはできないでいます。まだまだ未熟なのです。けれど、いつも聖書は私を勇気づけ、読むたびに心に訴えかける言葉に気付かされます。いつの日か、いつでもどんな辛いことがあっても、心穏やかに神様に向かえる日がくることを願っています。


今は神様が近くに感じられるようになりました

いろいろと書きました。長くなってごめんなさい。ただ、いかに悪かった関係から今、神様を通じて、近くに感じられることを書きたかったのです。まだまだ私は聖書の解釈を誤解し、自分勝手な解釈をしているかもしれません。でも、毎日毎日聖書に触れるにつけ、救われる言葉に出会います。先のことを考えることは怖ろしくてできません。そんなとき、辛いことがあっても、今は耐えようという気持ちで、毎日祈りを捧げています。

今は心から私を傷つけた人々の心に平穏が訪れることを心から願うのです。彼の母親から受けた辛い事実は忘れることができませんが、それも彼の母親が息子の幸せを思うゆえ、息子を守りたいゆえであることも理解できます。人生に「もしも」「・・・だったならば」はありません。だから、私はこれからも後ろを振り返らず、すべてを受け入れて生きて行こう!神様の御心に従って、導かれて、生きたいと願っています。どんな環境で生まれても、私の三女はたくさんの人から「みんなを幸せにする天使の笑顔を持っている女の子」だと言われています。これも、神様の御心だと感謝しています。

これからもあなたのHPが私の支えになってくださることをありがたく思います。私自身まだまだ主の導きに素直に沿える自信はありません。でも、そうありたいと願っています。大変な葛藤がありますが、毎日神様のことを考える毎日です。私の家族や私が一途に愛する三女の父親だけでなく、彼の両親や友人、まだ出会っていないすべての人の心に平安が訪れ、神様のご加護があることを祈っています。

長い長いメールになりましたが、ありがとうございました。本当に感謝しているのです。みなさまに神様のご加護がありますように。


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