神は礼拝儀式を求めているのではなく、礼拝【者】を求めておられる(John 4:23)。ワーシップとは、どんな音楽で、どんな風に盛り上げるかではないのだ。あるいは自分がどうのこうのでもない。盛り上げようとする試みは単なる音楽、肉的なもの。地の雑味が入る。正直、そのような"ワーシップ"を聞いていると頭が痛くなる。

真のワーシップは地上から盛り上げるのではない。天から降りてくるのだ。天のワーシップと共鳴し、ワーシップの霊が降りてくることを感じる瞬間がある。そのために、私たちのマインドをただジーザスにフォーカスし、霊を天のバイブレーションと共鳴するだけ。その時、自然と天のサウンドが地上のサウンドに投影される。そしてそれが再び天へと戻る。

ヤコブの梯子が天から地に向かってかけられたように、すべては天が主導権を持つ。地から盛り上げようとするものはあくまでも地の雑音に過ぎない。天からのワーシップが降りてくるのを待つ必要があるのだ。

究極的には、別に音楽は要らなくなる。私たちの霊に天のバイブレーションが響くとき、それはワーシップであり、神が求めておられる礼拝者の霊と魂、つまり心が天と共振するのだ。私たちはそのような礼拝者による礼拝を追求している。

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