砂糖まぶしの福音からハードコア・ゴスペルへ―ヨハネ3章16節再考

今、世界的傾向として、「愛こそすべて」、「ラブソナタ」、「何でも愛して赦して」の砂糖まぶしの「福音」の偽善が再考されている。ヨハネ3章16節、これは致命的に誤解されてきた聖句。ニッポンキリスト教、そろそろその嘘に気づけ!私はこの20年近く、その偽善を指摘してきた。ハードコア・ゴスペルに覚醒せよ!

ハードコア・プロファイルズ

フェイスによらないことはすべて罪(Rom 12:23)。愛がなければフェイスは虚しい(罪ではない!:1Cor 13:2)。カギは愛によって働くフェイス(Gal 5:6)。フェイス(愛ではない!)がなければ神に喜ばれない(Heb 11:6)!いわゆる信仰・希望・愛を三つ並べて愛こそすべてとやるのは偽り(この三つの要素は有機的に関係している)。神の愛はセンチメントではなく、ストロング―コリン・アーカート。三浦綾子文学的自己憐憫ワールドから解かれよ!

(David Pawsonは英国でリスペクトされているプリーチャー。アメリカの派手なイベントあるいは現象志向に対して、英国はじっくりと真理と向き合うのだ。要するに大人。)

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