エクレシアとは何でしょう?

いまさらながらだが、「キョウカイ」なる用語[1]天理教などもこの用語を用いているくらいだ。はもう手垢が着き過ぎで、原語のエクレシア[2]一応単語"Ekklesia"の意味を確認すると、<エク=から>と<カレオー=呼ぶ>の合成語で、「呼ばれた者たち」の意味である。と言いたいことは前々から書いている。が、改めてエクレシアって何?・・・よく言われるのは、建物でもなく、教団や教派や宗教団体でもなく、召し出された人々の集合体。確かに、そうだ。

パウロ・・・が、コリントにある神の教会、〔すなわち〕キリスト・イエスにおいて聖められた者たち、召された聖なる者たちに〔この手紙を書き送る〕―私たちの主イエス・キリストの名を、いたるところで呼び求めているすべての者たちと共に―・・・-1Cor 1:1-2(岩波訳)

しかしながら、それは地上の五感の世界のオハナシに過ぎない[3]よくキリスト教用語では「地域教会」とか称している。。エクレシアの霊的定義とは―

この教会はキリストの体、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。-Eph 1:23(岩波訳)

ここを通常の邦語訳では、「・・・満ちているところ」とか「」としてしまう。これがワナである。エクレシアとはキリストの充満である(岩波訳注参照)。つまり、キリストである。See? (⇒エクレシアの真理

さらにこうある―

なぜならば、からだが一つでありつつも多くの肢体をもつように、また〔逆に〕からだに多くの肢体がありつつも一つのからだであるように、キリスト〔自身〕もまたそうだからである。-1Cor 12:12(岩波訳)

この節を用いて、しばしば、「私たち教会はキリストのからだであるから、それぞれに機能が違っているが、みんなで争わず一致しましょう・・」的な説教がなされる。つまり、キリストは頭であり、エクレシアはそのからだであると。さて、パウロはそう言っているであろうか?

ここをよく読んでほしい。「キリストのからだの場合もまたそうだから」とは書いていない。「キリスト〔自身〕もまたそうだ」とある!前者ならば確かによくキリスト教でなされる説教となるであろう。が、パウロはここでキリストご自身とからだを区別していないのだ!つまりエクレシアはキリストなのだ。これがエクレシアの霊的アイデンティティーだ。はあ?と言われる人にはひとつ質問しよう:あなたのからだは誰か?あなた自身であろう?胴体と首を切り分ける人があろうか?それは死を意味するのだ。それらは同じいのちを共有し、同じ血液によって維持されている。それはひとりの新しい人である(Eph 2:15)。

かくしてエクレシアの本質は霊的かつ宇宙的生命体である。それはZoeそのものであり、われわれはその霊的生命体の中にバプテスマされたのだ。

主に接合させられる者はしかし、〔主と〕一つの霊なのである。-1Cor 6:17(岩波訳)

RWPはこうコメントする-

One spirit (hen pneuma). With the Lord, the inner vital spiritual union with the Lord Jesus

しかもキリストは二千前に十字架につけられたのではない。

And all those dwelling in the earth will worship him, those of whom the names had not been written in the Book of Life of the Lamb having been slain from the foundation of the world.-Rev 13:8

この「世の基が置かれる時から」を「いのちの書に名前の書かれていない者たち」にかけるのが通常の邦訳であるが、これは「屠られた小羊」にかかるべきである。つまり小羊は世の基が置かれる時からすでに屠られていたのだ!これが時空間を超えた霊的サブスタンス。それが神のフェイスにより時空間の中で実体化されたのがあの二千前の十字架である。霊の世界はこの時空間を超える!フェイスは永遠のNOWの実体化である!すべてはすでに完成していたのだ。これが神のフェイス。ジーザスはそのフェイスを持てと言われるのだ。

フェイスを持て。-Mark 11:22

これは通常、「神に対する信仰」と訳されるが違う。対格ではなく、属格。つまり、「神フェイス」。WOW!!! 神はすべてを語り出すことにより創造された。それはフェイスのパワーだ。イエスは言われた、

わたしが話した言葉(レーマ)は霊であり、またいのちである。-John 6:63

このフェイスに生きる者たち、つまりエクレシアとはキリストの充満そのものなのだ。それはキリストであろう?なぜ?キリストのいのちの息吹を吹き込まれた存在だから。この体(Body)と魂(Soul)はアダム由来であるが、それはわれわれのまことにアイデンティティーではない。われわれは新しい創造、すなわち神から生まれた霊であり、エロヒム属のもの、ヤーヴェ家の一員なのだ。ゆえにジーザスは詩編を引いて言われた―

そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちはエロヒムである』と書いてあるではないか。神の言葉(ロゴス)を受けた人たちが、『エロヒム』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。-John 10:34-35

ここで、YHWHを「」と訳し、Elohimを「神」と訳したことが罠になると繰り返している。そのままにせよ。神のロゴスを受けた人は、もっと言えば、神のロゴスから生まれた者たち(1Pet 1:23)はエロヒムである、とジーザスが証言したのだ。YHWHは父・子・聖霊なるお方であり、もっとも高きエロヒム。われわれはその神格を共有しないが、同じZoeのいのちを共有するエロヒム属なのだ。○○家に生まれた子供は親の人格とは異なるが同じDNAを共有するのと同様に、私たちの霊はエロヒムの霊的DNAを有しているのだ![4]エロヒムの意味についてはDr.Heiserの"The Unseen Realm: Recovering the Supernatural Worldview of the … Continue reading

が、YHWH(父・子・聖霊)なる神(エロヒム)は私たちの内に住まわれる。聖霊だけが内住されるのではない(John 14:23参照)。かくして神の霊から生まれた子供、God-OSをインストールされた私たち、つまりエクレシアは神をエミュレートするのだ(Eph 5:1)。キリストは父をエミュレートされた、すなわち彼は自分からは何もせず、父が語ったことを語り、なさることをなした。そのキリストを聖霊が私たちのうちにおいて実体化、すなわちエミュレートする。かくして私たちをとおして、父がエミュレートされるのだ!ゆえにジーザスは言われた-

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。-John 14:12-14

YHWHエロヒムはこうして自己増殖されるのだ。これこそが神の国の増殖に他ならない。まことにこのとき、

天の父よ、御名があがめられますように。御国が来ますように。御心が天になるとおり、地にもなりますように・・・との祈りが成就するのだ。

Glory be to God!!!

(初出:2016年8月31日

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1 天理教などもこの用語を用いているくらいだ。
2 一応単語"Ekklesia"の意味を確認すると、<エク=から>と<カレオー=呼ぶ>の合成語で、「呼ばれた者たち」の意味である。
3 よくキリスト教用語では「地域教会」とか称している。
4 エロヒムの意味についてはDr.Heiserの"The Unseen Realm: Recovering the Supernatural Worldview of the Bible"を参照のこと。一般のキリスト教神学がいかに聖書から離れている理解できる。

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