神のノモス-第二のものを良しとする

神の原則は最初のものを拒否され、第二のものを良しとされる。これは聖書で一貫している、すなわち「死と復活の原則」。

あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。
まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。
わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。
銀はわたしのもの。金もわたしのもの。―万軍の主の御告げ。―
この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。―万軍の主の御告げ。―Hag 2:6-9

<のちの栄光>最初の栄光>-これが神の霊的不等式。

最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。-1Cor 15:46-48

<¬第一のもの∧第二のもの>-これが神の論理式[1]¬は「否定」、∧は「かつ」を現わす記号

旧約の記録を見れば最初のものがことごとく拒否され、第二のものが神のものとされているケースにいとまない。そもそも第一の人であるアダムは拒絶され、最後のアダムとして第一のものを終わらせ、復活の初穂すなわち第二の人となられたジーザスを神は良しとされた。これはわたしの愛する者、わたしの心に叶う者である、と。なぜ、第二のものを? これは神の主権、神の嗜好としか言えない。造られた陶器が陶器師の意図をくみ取ることはできないのだ。ただ、服するのみ。

キリストのいのちは、あの時代にはイエスのうちに限局されていた。今は、一粒の麦が死んだゆえに、それは霊的領域に無限大に拡散している。その領域へと私たちの霊は開いている。無尽蔵の富を引き出せるのだ。もちろん信仰により。「自分がどーだ、こーだ」から出て、この広大な領域に触れるならば、私たちは一変する。それまでと同じではおれなくなってしまうのだ。否応なしに・・・。

かくして私たちはアダムにあって罪の中に生まれたが、キリストの死と復活に結合されて、キリストに続く復活の初穂、新しい創造、ニュークリーチャー、新生命体とされたのだ。ジーザスと同じに世の者ではない。エロヒムの霊、DNAを分かち与えられた者、エロヒム属としてYHWH家の一員とされたのだ。なんという栄光ゆえにわれわれは失望することをなんら恐れる必要はない。必ず復活の領域において神の最上の御業を見るからである。

G.B.T.G.!!!

(初出:2015年4月4日を改変)

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1 ¬は「否定」、∧は「かつ」を現わす記号

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