神の霊から生まれる奥義-霊の事は霊による

神の霊から霊が生み出されること。これはスーパーナチュラルな生命現象。その中には神の種(精子)が宿っている。

神から生まれたすべては(原文)、罪を犯しません。神の種(スペルマ)がこの人の内にいつもあるからです。-1ヨハネ3:9

世の最も最悪の悲劇。それは御霊から生まれていないのに、キリスト教徒となる人。自分は"クリスチャン"と思っていても、霊的にはまったく異なる人。霊がもとより異なるから、決してキリストのいのちを共有し得ない。キリスト教のマトリックスの中に拘束される。しかも拘束されていることにすら気がついていない。猿が人間のマネをするようなもの。いのちのディメンジョンが異なる。

先に紹介したJarrod Cooperのエクレシアで起きるような神のタッチを受けることもない。むしろ彼らにとってはこのような場面は集団ヒステリーかなんかに見えることであろう。

came to be in the Spirit on the day of YAHWEH, and I heard behind me a great voice, as of a trumpet,-Rev 1:10 (HRB)

が、神のタッチはわれわれの体をも支配する。きわめてタンジブル、手で触れることができるのだ。私は体全体が神の霊のバイブレーションに共振する。それは神の愛による束縛。エクスタシーなのだ。栄光はカボド、その意味は重さ。神の霊が臨むとき、それはヘヴィー。文字通り立っていられなくなる。

祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。-1Kin 8:11

神の霊から生まれた存在はエロヒム。神のいのちの霊をインプラントされた存在であり、神聖である。それは神の新創造、ニュークリーチャー、そしてニュースピーシーズ。われわれはエイリアンなのだ。ゆえにそのいのちはキリストと共に神のうちに隠されている。まことにそれは奥義、ミステリー。だから、誰かれに明らかにされる性質のものではない。オツムの空転現象に陥る人々には理解得し得ない領域の経験なのだ。

魂(原文)の人にとってはそれは愚かであり、決して理解できない。霊のことは霊によってのみ理解できるからだ―1Cor 2:14

愚かな者とされること、あるいは狂信者とされること。これは、霊の人にとっては最高の栄誉だ。自分は世の物差しではなく、神の国の物差しで生きていることの証明だから。それは彼らとは物差しが違う世界に生きていることが明らかにされる絶好の機会なのだ。

霊の人は誰からも判断されない・・・私たちはキリストのマインドを持っている。-1Cor 2:15-16

フェイスの覚醒はすなわちキリストのマインドのアクティベーション。聖書がまったく異なる光の中で見えるようになる。それは解き明かしとか、互いの意見をすり合わせる話ではない。御言葉が3Dとなって浮き上がってくる。ジーザスの息遣いも感じるほどに。WOW!!!

ちなみに、「ニッポンキリスト教」という用語はDr.Lukeオリジナルではないことは何度も指摘している。鹿島春平太氏の造語だ。彼は著書の中で「ニッポンキリスト教は最初から闇の中である」と指摘されている。最近、FBにおいて同氏からリクエストをいただき、友人としてリンクしていただいた。日本でキリスト教が広まらない理由はすでに明らかであろう。胡散臭いし、束縛感があるし、せっかくの日曜につまらん牧師の説教聞くために時間を取られたくないし・・・。教会も世に媚びている、あなたの街のお気軽な教会♪・・・とか。すでに見透かされているのだ。

でも、けっこう関心だけはあるのだ。聖書は50万冊毎年売れている隠れたベストセラーである。御言葉をダイレクトに提供すること。砂糖まぶしが無意味であることはすでに明らか。あなたは愛されるために生まれたとかのスローガンも・・・。まさに直球勝負の時代である。

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