癒しの証し二題―奇跡と摂理―

その1:前回のセレブでの証- 先の脊柱損傷の姉妹、かつてセデス錠が切れると手が震えるほどだったが、今はパッケージを見るのも気持ち悪くなった。一時は半身不随で一応治るも背骨は湾曲。12日のプレイヤーMTG後、背骨に串刺し状に「何か」が入った。すると背骨がスッと伸び、前は運動もできなかったが、フィットネスに通い出した。呼吸も楽で気持ちイイ!

その2:小生の証し- 小生、かつて筋トレで左足の膝関節を痛め、その後遺症の痛みに悩まされてきた。最近ちょっと酷くなっており、ジョッギングにも影響が出ていた。メッセでもコンドロイチンが・・・とかネタにしてたのだが、実は自分事。前の右足の麻痺の時とは違い、祈りも癒しの実体に触れないまま、空振りしていた。いよいよか?!

《NHKガッテン》膝痛は「関節包」が原因だった?!3分でできる膝運動を紹介!

ところがたまたま視たこの番組。軟骨の問題ではなく関節包のコリだと指摘。大腿四頭筋の伸縮により柔軟性を取り戻すのだ。えっ? そんなにカンタンなの? でも、お言葉ですから、とペテロに倣って実行してみると(Luke 5:5)・・・・。なんとこれがキクーーー 痛みが完全消失! おお、これはうれしいぜ(^^♪・・・で、湿度が高いが、気持ちのイイ走りを満喫してまいりました。

聖霊の直接のタッチによるスーパーナチュラルな癒し(特別恩恵)も、こういった医学的手法による癒し(一般恩恵)も共に神の導きである。前者は論理の連鎖を超えた直接的な「奇跡による介入」、後者は病理を取り除く間接的な「摂理による介入」だ。先の脊柱損傷によるセデス中毒の女性の場合は、曲がっていた脊柱に「何か」が入り込み、スクッと真っすぐに伸び、運動もできるようになった。何が入ったわけ? これは医学の知識では説明できない。今回の私のケースは医学的に説明ができる。

どちらにせよ、カギは「聞く」こと。そして「行う」こと。

フェイスは聞くことから生まれる。-Rom 10:17

行いのないフェイスは死んでいる。フェイスは行いによって完成される。-James 2:17-22

いや、なんとも実にうれしいことである✨ Praise The Lord!!! 

●参考:
パウロとヤコブについて|ちょっとディープなットピック
プロテスタントの「信仰義認」の根本的誤り

 

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