祈り-それはサブスタンスを操作する醍醐味

祈りって何でしょう。キリスト教のお勤め? あるいは打つ手がなくなった時、もはや神に祈るしかないと。それは何か虚無感を覚える祈りのイメージです。

祈りは、ひとつは霊的呼吸です。エロヒムから生まれたエロヒムの霊をもつクリスチャンは祈ることなしに生きることはできません。肉体が呼吸を止めることができないのと同様に、祈りは霊的生命を維持するのです。ニッポンキ業界の牧師たちは良く言います、祈れ、祈れ、祈り倒せ~!とか💦 私はこう言います、祈りをやめてごらん、祈りが何か分かるよ、と、

もう一面では、祈りとは霊的サブスタンスの操作だ。たとえば人類は電波(電場と磁場の相互作用)をマクスウェルの法則に従って自由に制御できる。電波は見えないし、触れないし、五感では感知できないが、音、映像、熱、光・・・と姿を変えて、この時空間に現出する。これをフレーム化という(Heb 11:3)。最近ではDNAですら編集することができる。

同じように霊的世界の法則をつかむと、そのサブスタンスを操作できるようになる。たとえばイエスはラザロの死を聞いたとき、彼は眠っているだけだと言われた。が、弟子の指摘を受けると、いや、死んだのだと言われ、あえて4日待って彼を起こしに行った。そのとき、彼の霊の中ではすでにラザロは蘇っていたのだ。イエスはそのサブスタンスを明確に掴み、見ていた。イエスにとっては霊的サブスタンスの方が物理的死よりもリアルだったのだ。かくしてイエスは死を支配、統治したのだ。

いま、フェイスとは願われるサブスタンス、観察されていないことの現出である。-ヘブル11:1(Dr.Luke訳)

クリスチャンの任務はいのちにあるキリストと共なる統治(Dominion)である(Rom 5:17)。そもそも、地とあらゆる生物を治めよ、と神は言われた(Gen 1:28)。地とは物質的世界のこと。われわれはこの物質的世界を支配できるのだ。イエスは男だけで五千人を五つのパンと二匹の魚で心ゆくまで満腹させた。嵐と波を叱り、静められた。水の上を歩いた。すべて彼はこの物理法則を超える世界を証明したのだ。天が裂かれ、神の国がこの物理的時空間に介入していることをデモンストレーションしたのだ。信じる者はイエスと同じ業、否、それ以上の業ができるとイエスは言われた(John 14:12)。これ、もちろん私たちがいくら踏ん張っても無理。鍵は何か。

神のレーマには不可能なことは何もない。-Luke 1:37(原語)

フェイスはレーマを聞くことから生まれる(Rom 10:17)。それはサブスタンスをゲットすること。敵の策略はクリスチャンをしてこの霊的次元に関して無関心あるいは無力さに閉じ込めることだ。電波を制御するマクスウェルの法則を知らなければ、テレビもスマホも実現しない。つまり電波が実体化されないのだ。

同じようにクリスチャンの目から霊的法則を封じ込めれば、霊のサブスタンスは実体化されない。つまり天の御心が地にならないのだ! かくしてクリスチャンをして五感の世界に限局化させておくこと、これが敵のもっとも有効な策なのだ。目先の楽しみや問題や病気、あるいは自己啓発や自己実現の追求に落ちるとき、クリスチャンは敵にとって無力化される。

もし私たちが霊的サブスタンスの扱い方を100%把握し、習熟したら、完全にイエスと同じことができるのだ。地上で父の御心を100%実現できる! われわれがこれに目覚めることをサタンはもっとも恐れている。われわれはすでに天に座し(Eph 1:20)、王とされているのだ(Rev 1:6)。われわれの本質は新創造新しい生命体なのだ(2Cor 5:17)。このアイデンティティーに気づくとき、私たちの生き方は根底からひっくり返される!

ヤハヴェ・エロヒムは彼らを祝福して言われた、生めよ、増えよ、地に満ちよ。そして地を治めよ、と。

 

 

 

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