フェイスと従順は啐啄同時-それは時空を超える経験-
フェイスはアクションによって完成される(James 2:24)。ここの行いとは何か?簡単である。御言葉に書いてあるとおり信じ、行動すること。否、信じたら行いが自動的に生まれる(☞パウロとヤコブについて)。例えば-
●病気の時:私たちはイエスの傷により既に癒された⇒癒された者として振る舞い、行動すること。
・イエスは足萎えに向かって、「立ってあるけ」と言われた。癒されてから立って歩くのではない。立って歩くと癒しのサブスタンスが現出するのだ。
・生まれつきの盲人にツバキで泥をこねて目に塗り、シロアムの池に行って洗えと言われた。目の見えないままの状態で。それに従って行動すると目が開いた。
●欠乏の時:神はご自身の富に従って、栄光のうちにキリストにあってすべて満たすとあるゆえに、すでに必要が満たされた者として振る舞い、行動すること。
・イエスは五千人、また四千人を養うとき、すでに父が叶えてくださったと知り、感謝し、パンを祝福して裂いた。するとみなが満腹し、十二のかご、また七つのカゴにクズがいっぱいになった。
要するに、主よ、与えてください、と嘆願するのではない。すでに主は語っているのだから、受け取り、得たと信じるのみ。そしてそれに応じた行動をする。するとそのサブスタンスが目の前に現出するのだ。天、すなわち霊的領域にあるサブスタンスを見ること。そのとき「得た」と分かる。すると行動はそれに応じたものとなり、時系列の中でこの地、すなわち物理的時空間に現出するのだ。このコツが開かれるならば、かなりヤバイ。なぜ?イエスと同じ業を、否、それ以上の業を我々がなすからだ(John 14:12)。
だから、サタンは躍起になってキリスト教なる宗教の世界に信者を閉じ込めている。愛こそすべて、弱者に寄り添い、なぐさめ、同情し・・・・と。これははっきりという、負け犬の世界だ。われわれはキリストにあってあらゆることにおいて勝ち得てあまりあるのだ(Rom 8:37)。英語では”more than conqueror”。勝利者以上の者だ。なぜ?キリストとの一体化により、キリストの勝利に私は包括されているからだ。だから、いわゆる霊の戦いも、すでに勝利した者として振る舞い、行動する。ここでもポイントはマインドのトランスフォーメーション。
神のフェイスを持て。・・・なんでも祈り求めたものはすでにかなえられたと信じていよ。そうすればそのとおりになる。-Mark 11:24
フェイスはすべて完了形(☞信仰と希望について)。これからとかいつか・・・ではなく、すでに、だ!フェイスはシックスセンス、時空感を超えたリアリティーを<今・ここ>にもたらす。
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