マインドのアンロックとフェイス・アウエイクン

セルフから一歩を踏み出せ!

神のマトリックスに生きる条件は何か?(ここも邦語訳は問題が多い。大切な点は太字にしてある。)

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、理性的な礼拝です。あなたがたはこの世の形に構成されてはなりません。むしろ、思いを新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。-Rom 12:1-2

たとえば、イエスは言われた、信じる者にはすべてが可能である、と(Mark 9:23)。これをあなたはどう受け止めるだろうか?単なる励まし、慰め?アブソリュートリー・ノー。イエスは真理そのものなるお方。彼が言われることはそのとおりなのだ。

この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。-1Tim 4:9

さらに、繰り返すが、こうも言われる。

よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。-John 14:12-13

あなたはどう受け止めるだろうか?もしこのジーザスの言葉にあれこれと留保をつけるのであれば、あなたは自分のマインドに勝手にロックをしているのだ。自分はあれができる・できない。聖書の言葉は単なる寓話であり、教訓話であり、そのまま受け取るものではない。それは聖書原理主義カルトである・・・。これが生まれながらの魂の発言である。

そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、”霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊のものによって霊のことを説明するのです。自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。-1Cor 2:13-14

かくして魂の領域で生じる宗教としてのいわゆるキリスト教は神の言葉を人間のレベルにまで引きずり下ろすことから生まれる。それは不信仰の正当化に過ぎない。彼らには霊的なことは愚かなこと。もっと言えば、妄想であり、狂信である。まことにイエス自身が悪霊に憑かれているとか(John 10:20)、気が狂っているとされたのだ(Mark 3:21)。

一方で、聖書の言葉を神の言葉と信じると意識の表面では思いつつも、実はマインドがロックされているために、そのパワー(デュナミス)を経験できない人々がいる。自分で自分を自分のマインドの領域にロックしてしまっているのだ。これをセルフ・カプセル化という。しかもしばしば彼らはそのロックに気がついていない。自分の考え方、行動、主義、価値観などが当然ことであると思い込んでいるのだ。だから悔い改めることができない。まことにこうあるとおりだ。

それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである。-Mark 4:12

神のマトリックスに生きる条件、それはこのロックが外れることだ。その瞬間、脳内でカチっとロックが外れる音を感知できる。あ、自分は欺かれていたと。あの者は偽り者。世界を欺く者(Rev 12:9)。彼はその偽りの中にわれわれを幽閉するのだ。しかし聖霊が働くとき、御言葉はそのロックを外す。そしてあらゆる真理に導く(John 16:13)。

ダニエルも自分の脳内で幻を見た(Dan 4:5)。私も脳内で幻を見た。あの際のロックの外れ方は尋常ではなかった。それからも次々にロックが外されている。すると御言葉の世界、霊的世界が見えるのだ。その世界のサブスタンスがリアルに感じられるようになる。そしてそれを語る。するとそれが実体化されるのだ。かくして私の難聴・足の麻痺・花粉症が消え去り、ある婦人の末期ガンと糖尿病が癒されてしまった。私のマインドは、え、本当?という思いがないといえば嘘になる。が、事実があるので否定できないのだ(Acts 4:14)。

マインドのロックが外れるほどに霊が生き、解放されるようになる。フェイスが覚醒する。フェイスが自由に働く。フェイスは僕なのだ(Luke 17:5-10)。今また上映中の『スターウォーズ』の「フォースを使え!」・・・ではない。フェイスを使え。フォースが共にあらんことを!・・・ではない。主が共にあらんことを、だ。はっきりと言おう、神のわざを阻害する最大のロックは宗教なるキリスト教。その神学や思想や儀式や伝統などなど。そこから解かれる人は幸いである。

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永谷 聡
永谷 聡
5 years ago

アーメン、本当に、なんて素晴らしいものだったんだ!今まで、日曜日の教会堂における礼拝だけが、主への奉仕だと宗教に縛られていました。私は、死んだ目をした一万回のキリスト教の礼拝より、一回の湧き上がる感謝と歓びをもって生きた心躍る賛美を主に捧げたい。

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