スピリット・オーバー・マター:バイオレントなフェイス

よくニューエイジ系では”mind over matter”という。物質を精神でコントロールできるというわけ。確かにアダムに対する神の当初の委託は

神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。-Gen 1:28

この「地を従わせよ」の原語はStrongによると

kâbash
kaw-bash’
A primitive root; to tread down; hence negatively to disregard; positively to conquer, subjugate, violate: – bring into bondage, force, keep under, subdue, bring into subjection.

と、かなり強い意味がある。力づく的な要素もあるのだ。で、地(ertz)を征服せよ、服従させよ、束縛せよ、足下に置け・・・など。これってどういうこと? 地面を従わせる? はあ? 「地」の意味はかなり広範であり、Strongによれば、地面の他に国々、道路、荒地、そして世界の意味がある。イエスは言われた、御心が天になるとおり、地にもなるように祈れと。そして神の国は激しく襲われているとも(Matt 11:12)。KJVでは”suffer violence”、要するに暴力的なのだ。まことに創世記の命令と対応する。

マルコで足萎えを家の屋根をぶち抜いてイエスの赦しと癒しを受ける行為などまさにバイオレント(Mark 2:4)。盲人の目につばでこねた泥塗りたくり、目も空いてないままにシロアムの池に行って洗えと命じたイエス。メッセでも語っているがシロアムの池は急階段を降りるのだ。はあ、主よ、なんと過酷な要求をされますか?・・・と私たちのマインドは考える。これなどもまさにバイオレント。

あるいは異邦の女が娘の癒しを求めた際、犬に与えるパンはないと言われたイエス。が、その言葉をとってイエスの真意に応じた女。これがフェイスだ。現在のキリスト教のなよなよした自己憐憫的な光景とはまったく相反する。イエスは実にバイオレントかつダイナミックだったのだ。

地を従わせよ!

この命令は実にバイオレントかつダイナミックな命令であり、天を裂いて地に介入されたイエスの行為を見れば、いわゆる「きよく・ただしく・まずしく・うつくしく」といったキリスト教のイメージとは全く異なることが分かる。ツタの絡まるチャペルで乙女が祈りを捧げる・・・といったお上品なものではないのだ。天のサブスタンスをそのまんま地にもたらすこと。それはきわめて力づくの行為。もちろん肉のものではないが・・・。

神の国のパワー、すなわちデゥナミスはダイナマイトの語源。それは炸裂、さらには爆発するのだ! ぶち抜くパワーだ。覚醒せよ、このデュナミスに! 罪、病、欠乏、絶望、束縛・・・これらのおよそ天に相応しくないものを爆破するのだ。そして天の要素、義、健康、豊かさ、希望、解放・・・をもたらすこと。これが福音の力(Rom 1:16)。それはまことに天地創世の時に完成していた神のみわざのNOWise(今・ここに化)である。それは”mind over matter”ではなく、”spirit over matter”である。

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