4次元立方体なるキリストの奥義のサイズを知れ!

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聖書は生命現象の書であり、また数学の書である。153という数字の不思議さや(☞153匹の魚(IΧΘΥΣ)の奥義)、創世記1章1節には円周率<π>が、ヨハネ福音書1章1節にはネイピア数<e>がコードされていることはすでに指摘した(☞Amazing!!! πとeが聖書に隠されていた!)。この二つの数値は宇宙を記述する基本定数である。そしてキリストについてはこう証言する:

それはあなたがたが十全な強靭さを得て、キリストの奥義の長さ高さ深さがどれほどであるかをすべての聖なる者たちと共に把捉し、人知を超えたキリストの愛を知って、神の全き充満へと満たされるためにである-Eph 3:18-19(岩波訳)

今回のメッセでキリストは領域(sphere)であると語った。それがどれほどのものであるかを知れとパウロは言う。キリストの奥義のディメンジョンは4次元だ。私たちエクレシアが完成された新エルサレムは立方体。そのサイズは12,000スタディオン。旧約の至聖所も立方体。幕屋では10キュビット、ソロモン神殿では30キュビットだ。神の臨在の場は拡大するのだ。

それは完全立体である立方体で象徴される。新エルサレムには神殿はない。太陽も不要。それ自体が神の臨在であり、光を放つのだ(Rev 21:22-23)。もはや奥深くに隠されてはいない。新エルサレムは小羊と結婚する。つまりわれわれエクレシアの完成した姿であり、それ自身が神の臨在であり、神の光を放つ。イエスが山で変貌された姿はそのことの予告編。

この教会(エクレシア)はキリストの体、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。-Eph 1:23(岩波訳)

何度も指摘するが、何か教会という場所があって、そこに聖霊様の油注ぎや充満があるという聖霊派の理解ではない。充満そのものがエクレシアなのだ! つまりエクレシアとはキリストの臨在そのもの。至聖所は私たちの霊を象徴する。その霊は神の息(霊)を分け与えられたもの。つまり神であり、神の臨在そのもの[1] … Continue reading

旧約では幕屋や神殿の奥に隠されていた。今はわれわれの肉の中に隠されている。だからそれはGodliness(Eusebeia)の奥義[2]これを邦訳では信心の奥義とか敬虔の奥義と訳すが、訳語として適切ではない。ゆえに原語どおりエウセベイアの奥義と言っておく。、つまり肉において現される神だ(1Tim 3:16)。現経綸ではわれわれの肉を通して神は現れる。しかし新エルサレムはもはやまったく隠されていない。神の霊と私たちの霊とが融合した神の臨在そのものとされる。

わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。-Col 3:4

三なる神と人が共に住まい一体とされた存在(Eph 2:22)。つまりそれは 3+1=4 次元立方体なのだ! その3次元空間における展開図は、なんと十字架そのもの! つまりキリストの奥義の3次元空間ヘの投影が十字架なのだ! あなたには上のアニメを見て、4次元立方体が見えるだろうか?

参考:聖書が究極的に語ること

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1 何度も指摘するが、エロヒムを神と訳すことは言語マトリックスにエロヒムを幽閉する。われわれの霊はエロヒムである。が、父子聖霊にいます最高のエロヒムYHWHとは異なる。霊的生命体エロヒムとしての本性と属性を共有するのだ(2Pet 1:4)。
2 これを邦訳では信心の奥義とか敬虔の奥義と訳すが、訳語として適切ではない。ゆえに原語どおりエウセベイアの奥義と言っておく。

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