ジーザスの血潮のパワーに覚醒せよ!

血は単なる物理化学的物質ではない。それは命を含む。特にジーザスの血は霊的なパワーを有するのだ!

肉の命はにあるからである。-Lev 17:11

私たちの祖先を追いかけると最後はアダムに到達する。が、そのアダムと今の私を結ぶ血脈が存在する。果たして自分はどのような祖先を持っているのであろう? 私自身、これまで封印されていた自分の由来の秘密を知りつつある。たどれる祖先は4,5代程度ではあるが、その血脈においても実に様々の状況があることが分かる。

彼らがいつの間にか神に反逆したり、敵の霊と契約を結んだりした場合、その効力は私たちにも及ぶ。

あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし・・・-Exo 20:5

意識するにせよ、無意識にせよ、私たちは錯綜した血脈のひとつの到達点に置かれているのだ。よくある事は、代々に渡って同じような罪を犯したり、類似の事件によって不幸な歩みをする人々がいる。精神分析的には強迫反復と言われるものである。が、どうも精神病理的なファクターのみでは説明しきれないものがある。つまり血脈の問題である。遺伝病は言わずもがな、呪いや罪や悪しき契約などの霊的パワーが血脈に乗って私たちに影響を及ぼす可能性を最近とみに感じている。

メッセでも語ったが、江戸時代まで系図をたどれる家系は少ないと思う。ゆえにどこでいつ何が入ったのか、私たちに認識する術はないし、責任もない。聖霊派ではよく、先祖の罪を悔い改め、呪いを断ち切るとかやるが、考えても見よ、最終的祖先はアダムである! そこでイエスの血潮のパワーが必要になるのだ。イエスの血はいわゆる個々の罪々をきよめるだけではない。この血脈にのって流れている霊的パワーをも消去し、きよめるのだ。しかもアダムに遡ってだ![1]イスラエルがヨルダン川に一歩足を踏み込んだ時、彼らの進攻を阻害するその流れは上流のアダムで止められたことを思い出すこと(Josh 3:16)。

血が語ることはヘブル書にもある。

新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。-Heb 12:24

血にはいのちがあり、それは生きているのだ! 私たちが知りえる範囲をはるかに超えて、血は私たちを覆い、きよめ、さらに私たちのために語っている。敵は私たちの無知や無防備に付け込む。先祖たちが犯した罪や呪いや契約をサタンの告発の材料としてはならない。自分がどうしても打ち勝てない罪や問題、あるいは否応なく繰り返される家庭の問題などはこの血脈の罠が仕掛けられている可能性が高いのだ。

イエスの血潮のパワーにもっと目覚める必要がある。私たちが努力して矯正したり、治せる領域はごくわずか。血を適用せよ! あらゆる敵の中傷や罪定めの声に対して血の線を引くこと。血の覆いのもとにいるとき、敵の攻撃はすべて彼らの上に返される。

どのような武器があなたに対して作られても何一つ役に立つことはない。裁きの座であなたに対立するすべての舌をあなたは罪に定めることができる。これが主の僕らの嗣業わたしの与える恵みの業だ、と主は言われる。-Isa 54:17

むしろ彼らの武器は、ダビデがゴリアテの剣により彼の首を切断したように、訴える者たち自身を切断することになる。私たちは目の前の物理的領域における事態とガチンコするのではない。天の法廷において祭司として働くのだ。そこで受けた決議事項をこの物理的領域に語り出すとき、それは預言者のわざとなり、事態を統治するとき王権を行使する。こうして天の事実が地にもなるのだ。

目の前の事態に欺かれてはならない。サタンは光の天使にもマスカレードし、御言葉をすら使うのである。私たちを訴えるために。が、戦いはすでにオワッテいる!

今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。
兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉(ロゴス)とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。-Rev 12:10-11

フェイスの覚醒のためにはジーザスの血潮のパワーにまず覚醒せよ! それは私たちを神の義とするのだ。

神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。-2Cor 5:21

よく読んでほしい。義とみなされるだけではない。神の義となるのだ[2]ギリシャ語では”ginomai”、すなわち”cause to be; become”だ。。神はご自身の義の基準によって働かれる。私たちの祈りも奉仕もすべてはこの義の基準に従う必要がある。ええ、それは厳しすぎる!・・・と言うことなかれ。自分でできるわけなかろう(☞神をエミュレートする-God-OS)。そのためにこそ、イエスの血潮があるのだ。

イエスの血潮はイエスの復活のいのちを私たちのうちにインプラントする[3] … Continue reading 。 私たちの呪われた古い血脈は終わったのだ。今、私たちは祝福されたイエスの血脈に入れられたニュー・クリーチャー神属人類(エロヒム属)だ!(☞エロヒム属の誕生)それは神の聖・愛・義・力・癒し・祝福などすべてを含む血脈である。血が塗られる時、油も塗られる(Lev 8:23-30)。すなわち御霊が働くのだ。御霊は神の国のサブスタンスを、今、ここに、実体化する。イエスが得たものはすべて私たちのもの! 私たちはすべてを所有するのだ。

すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。-1Cor 3:21-23

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1 イスラエルがヨルダン川に一歩足を踏み込んだ時、彼らの進攻を阻害するその流れは上流のアダムで止められたことを思い出すこと(Josh 3:16)。
2 ギリシャ語では”ginomai”、すなわち”cause to be; become”だ。
3 血はヘブル語で”דָּם”。そのピクトグラムはדָּ(ダレト)=門;吊るされる;出入りする、ם(メム)=水;混沌;全能だ。つまり「吊るされて流れた液体は全能であり、門である」と解される。まさにそのとおり。

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