言葉によるバカの壁:バベルの呪い

人類は自らの力で天に接近しようとしていわゆるバベルの塔を企て神に反逆し裁きを受けた。その呪いは言語の混乱(=バベル)だ。言語間の違いによる意思疎通の障害ばかりでなく、言語内においてすら理解し合うことが困難となった。同じ単語を聞いてもその意味や連想するモノが異なるのだ。これで最悪喧々諤々、まさにバカの壁。言語明瞭・意味不明。

言葉は実に不思議なもの。「ユーアーフール」と言われても日本人はさほど傷つかない。「あほちゃう」と言われても関東人はそれほどでもない。が、「お前はバカだ」と言われるとかなりクル。内容は同じなのだが、その言葉にまとわりつく「何か」がメンタルに影響するわけ。言葉は魂の無意識層のネットワークに刺激を与える。ある単語で過去のトラウマなどが呼び覚まされるのだ。

聖書の言葉も同じ。言葉によるマトリックスがいわゆる宗教体系を構築し、ニッポンキリスト教が出来上がる[1]ゆえに私はできる限りニッポンキリスト教用語は使わない。その用語に込められた意味や感情、さらには歴史などの影響を受けたくないからだ。。これは私が20年近く言っていることだ。日本語で考えるなと。もしジーザスが業界の牧師の説教を聞かれたら、わたしはそんなことを言っていないと言われるであろう。ちなみにある方が、「ジーザスはエイリアン」に対して大変な憤慨をされた。うーん、何故それほどに激するのかまったく不明。辞書でちょっと調べてみてほしい。ジーザスは「わたしは世の者ではない」と言われた。まさにエイリアン、つまり外来者でしょうに(笑) ここで彼が内的にイメージしたモノが推測できてしまうのだ。

言葉遊びしているとその自分のマインドに構築された言葉の体系、つまりマトリックスによって判断し、そこから生み出される感情がこのような見当はずれな反応を生み出す。その人のオツムの中の「エイリアン」が自ら憤慨するような意味を有しているに過ぎないのだ。つまり自分の内的イメージを投影してそれに憤慨しているわけ。サルが鏡に向かって激しているようなものだ。

いわゆる「言葉狩り」なる社会現象も同じ。「片手落ち」は禁句、「片落ち」が正しい。こちらは別にそのような意味を込めて使ってはいない。こうして社会は相互監視社会となり、窒息する。これが現在のニッポ ンキリスト教でも起きている現象なのだ。「ポータル」とか、「バイブレーション」とか、「共鳴」とか、こういった単語がニューエイジで多用されているゆえにアレルギーを起こしたり、攻撃してくる輩もいる。しかしこれらはすべて聖書の単語なのだ。

われわれは「信仰」という時、すでに日本語のマトリックスに落ちている。その回路に従って考えるのだ。するとオレの信仰にとやかく言われる筋合いはないとなる。 ピスティス、つまりフェイスはシックスセンス。それは五感を超えた聖霊により付与される霊的能力。そのセンサーによってわれわれはスーパーナチュラルな世界と関わる。そのサブスタンスはひとつだ。御霊はひとつ、フェイスはひとつ(Eph 4:5)。壁を超えるのはそれにフェイスによりダイレクトにタッチすることによる。

言葉の効能と限界をしっかりと線引きする必要がある。物理法則は数学という厳格にその外延と内包を定義された世界共通言語によって記述される。ゆえに言語の壁はない。そのかわり数学が分からない人にはまさにイッツ・グリークとなる。一方、フェイスはそれぞれの言語によって記述される。ゆえにいろいろと民族的・歴史的・習慣的・習俗的などのコンタミ(不純要素)が混ざる。これが種として成長し膨らむとそれぞれのキリスト教なる宗教体系が構築される。

当時もジーザスは「パリサイ人とサドカイ人のパン種に注意せよ」と言われた。パリサイ人は宗教者、サドカイ人は合理主義者を代表するが、その種が膨らむとフェイスをかき消す。これが今もなお、連綿と起きていることなのだ。われわれは完全にその種を抹殺することはできない。が、主は「それに気を付けよ」と言われた。少なくとも自らを正当化して、それを育てるような愚は避けたいものである。

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1 ゆえに私はできる限りニッポンキリスト教用語は使わない。その用語に込められた意味や感情、さらには歴史などの影響を受けたくないからだ。

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