十字架教から解かれて魂の繁栄を得よ!

「自我を砕きぃ~」、「自己を十字架につけてぇ~」と叫ぶ向きがニッポンキリスト教によく見られる。かくしてクルシチャンが大量に生まれる[1]極私的にはクリスチャン・マゾヒズムと呼んでいる。。何度も言っているが、自分で自分を十字架につけることなどできるわけがない! 彼らは自分が何を言っているか分かっていないのだ[2] … Continue reading。主は言われた、「自分の十字架を取って私に従え。魂を救おうとする者は失い、失う者は得る」と(Luke 9:23-24)。ポイントは、私たちは魂を得るのだ! 魂が栄えるために十字架を取るのだ。

Dr.Kさんがニーの『キリスト者の標準』を詳細に検討されている。その中でこう指摘されている

キリスト者の間の考え方にある種の混乱がある。

主の十字架の価値が分かった上で生じる混乱だ。

くどいようだが、再度ローマ6:6に注目したい。

ローマ6:6b,c
本当に分かっているのか、このことを
我々の古い人は主とともに十字架に付けられた
罪の体が廃棄されるように
もはや我々が罪に縛られることがないように
(Nee訳+意訳)

この聖句において次のことが分かる。

あの出来事を、過去の、まさにあの場所へと回帰させていく動詞時制となっている。

しかも、最初で最後、ただ一回のみのイベント。

事は必ず完了し、なされないままでは終わらない。

我々の古い人は、ただの一度、そして永遠に十字架に付けられてしまった。

よって、二度と十字架に付けられることはない。

これが知識であり知恵だ。

この一回限りの十字架でアダムにある私たちは終わったのだ! そしてキリストと共に死に、復活した。今や、新しい創造ニュー・クリチャーとされている[3]これは文学的表現ではない。そのままに受け取るべきリアリティーである。十字架の前には存在していなかった新種、ニュースピーシーズなのだ。。これが我々の真のアイデンティティー。罪ゆるされた罪人ではない! 新しい人類なのだ[4]もちろん体が旧創造に属するから時にいろいろな罪は犯す。しかしアイデンティティーは罪人ではない。New … Continue reading

私の十字架はこの新しいアイデンティティーに反する要素を処理する場。特にマインドが鍵になる。私たちのマインドは霊と魂の接点であると繰り返しているが、偽りを信じ込まされているマインドはフェイスを阻害する。そして大脳辺縁系の諸々の欲望や感情を生み出す”自分”を自分と思い込んで、それをなんとか改善したり、聖化しようと務める。何度も言うが、それは幻想。何度も何度も自分はまだだ、まだ足りない、まだきよくない、まだ忍耐がない、まだ・・・・、と果てしなくグルグル周りする[5] … Continue reading。人生はそんな葛藤に明け暮れるほど長くない[6] … Continue reading

新しいニュークリチャーとしての私に反するマインドの思いをまず捨てること[7] … Continue reading。御言葉に矛盾する思いを取るのか、真理を取るのか。その選択の場が私の負うべき十字架なのだ。前者を選べば、大脳辺縁系からエネルギー(リビドー)が私たちの魂をトライブ(駆動)する。それは不安・緊張・焦りなど死の感覚に満ちる。後者を選べば、御霊のエネルギーが魂をドライブする。それはいのちと平安だ。

肉の思いは死であり、霊の思いはいのちと平安である。肉の思いは神に敵対し、律法に従うことはできないからである-Rom 8:6-7

この霊のエネルギーによりドライブされた魂は思い・感情・意志が健やかに活動して、文字通り繁栄する。そのときあらゆることで繁栄し、健やかであることができるのだ。十字架教から解放されよ!(☞十字架って何でしょう@YouTube

愛する者よ。あなたのたましいが繁栄していると同じく、あなたがすべてのことに繁栄し、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。-3John 1:2

参考:

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References

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1 極私的にはクリスチャン・マゾヒズムと呼んでいる。
2 彼らは宗教の霊により束縛されている。時に、自我に死のうとすればするほど自分が生きていることを意識してしまうのだが、どうすればよいか、との質問をもらう。とんでもなく勘違いしているのだ。魂そのものの機能(思い・感情・意志)を失うことではない!
3 これは文学的表現ではない。そのままに受け取るべきリアリティーである。十字架の前には存在していなかった新種、ニュースピーシーズなのだ。
4 もちろん体が旧創造に属するから時にいろいろな罪は犯す。しかしアイデンティティーは罪人ではない。New Creatureが有する権威と能力のポテンシャルはすごいものがあるのだ。make sense?
5 大抵は聖書の言葉を用いてぐるぐる周りを正当化するが、彼らのマインドはしばしば自作自演の葛藤にはまっているだけだ。この無駄な努力をやめることが実は十字架なのだ。十字架は魂のレストの場だ。
6 エジプト(体の経験=幕屋の外庭)はサタンが主人であるこの世、バプテスマによりそこから贖われたが、多くのクリスチャンはイスラエルと同様に荒野(魂の経験=幕屋の聖所)の40年間さまようのだ。そしてついにヨルダン川を渡り、良き地(霊の経験=幕屋の至聖所)へと入る。そこは乳と密の流れる地、あらゆる良き産物を産出する地である。もちろん、それはキリストだ。
7 これは深層心理のレベルにまで巣くっている要塞。私はこれを「霊感情観念複合体」と呼んでいる。このアダム系のエネルギーの塊が絶えず意識に浮上していろいろな想念や症状となり、平安と安息を損なうのだ。

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