ポータルが開く鍵-intimacy-

イエスは言われた、わたしの名にあって(in)求めるものは何でもかなえてあげよう、と(John 14:13;15:16)[1]イエスの名によってと邦訳にはあるが、原語はen、すなわちinだ。主の霊の中にどっぷりと漬かり込むことだ。。これが実現する鍵は、「わたしの名にあって」だ。祈りの最後にあたかも札をつけるように、「この小さき者の祈りを私たちの救い主イエスのお名前によって祈ります」と唱えることでは必ずしもない。その真の意味はintimacy(親密さ)だ。聖霊による主イエスとの交わりが深ければ深いほど、イエスの名にあっての実質、サブスタンスが増し加わる。私たちのマインドにキリストのマインドが反映するようになる(1Cor 2:16)。

イエスは父との関係において完全にひとつであったから(John 10:30)、ラザロの復活のとき、あれだけの大見栄を切ることができた。「父よ、わたしの願いを聞き届けてくださったことを感謝します。いつもわたしの願いを聞いてくださることを知っています」と。この関係を主イエスと私たちに平行移動するとき、私たちの祈りもこれと同じ結果を生む。intimacy-人との関係も同じだが、まして神との関係においては本質的である。われわれも-

しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。-1Cor 6:17

そして神の霊をボディでも感じるほどに聖霊のタッチを受けるとき、御父に自分が完全に包まれている感覚を味わうことができる。世の、サタンの、自分の体のあれこれがグサッと刺さることがなくなる。全宇宙とバイブレーションを共有し、常に御父の言葉(ミレア)が内側に響いている状態となる。心は御父のうちに安息し、漂い、そのタッチを楽しむ。このとき、五感の領域のモノや事象によって影響されることがなくなるのだ。

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1 イエスの名によってと邦訳にはあるが、原語はen、すなわちinだ。主の霊の中にどっぷりと漬かり込むことだ。

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