宗教の十字架を忌避せよ-そこにキリストはいない!

十字架は全宇宙の歴史の転換点だ[1]もっと言えば、切断面と言える。。旧創造を担われたイエスは、十字架でその不条理をすべて引き受け、苦しみの中で死なれた。その苦しみはわれわれが知る由もない。神の独り子だけが与り得る苦しみである[2]よく言われる「キリストのお苦しみにあずかる」というもっともらしいセリフは偽りである。

しかし、イエスは聖霊により復活した(Rom 8:11)。このとき私たちも復活した。この復活の領域は新創造の領域であり、あらゆる旧創造の不条理から解かれている領域である。イエスが地上におられたとき、あの地において限定的に現された神の国が全地球規模において現出する。神の国は私たちのうちに聖霊によって生きている。

神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。-Rom 14:17

そこで病の癒しについても言えるが、自分をどなたと同一視するのかがポイント。自分の葛藤や苦しみや病や罪からの解放を求めて、苦しんでいる十字架の主と同一視するのか(=最初のアダムとの同一視)、勝利にあって復活され、天に座しているお方と同一視するのか(=第二の人との同一視)。真理は、私たちはすでにその方と共に天に座しているのだ!(Eph 2:7)

よく言われるキリスト教のセリフに「十字架に戻れ!」がある。これがけっこう曲者なのだ。しばしば、そこで苦しまれているキリスト、すなわち最初のアダムと同一視してしまう。実際は十字架は旧創造がすでに終わったことの保証であり、その後に復活があることを思いこさせる場なのだ。私たちは「自我に死のう」と務める必要はない。すでに死んでいる! ポイントは復活したキリスト、その方と同一視するとき、まことに神の国のいのちと力を味わうことができるのだ。サタンも手の出せない領域。罪の赦し、病の癒し、貧困からの解放、豊かな人生を堪能できる。

愛する者よ。あなたが、たましいが繁栄しているようにすべての点でも繁栄し、また健康であるように祈ります。-3John 1:2

もっともらしいキリスト教なる宗教のマトリックスに絡めとられないように! われわれはすでに死んで復活したニュー・クリーチャー。この世にはいるが、この世のものではなく、ジャスト・セイムにキリストと同じエイリアンである。☞十字架とは何でしょう?

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1 もっと言えば、切断面と言える。
2 よく言われる「キリストのお苦しみにあずかる」というもっともらしいセリフは偽りである。

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