裏返しの世界観による悲しき事件-喪失するリアルとヴァーチャルの境界

裏返しの世界観による悲しき事件-喪失するリアルとヴァーチャルの境界

2019-01-02 0 投稿者: drluke

新年早々、こんな悲しき事件が・・・。

「本当の世界はゲームの中」衰弱死1歳児の母親

現実逃避的にゲームに熱中し、乳児を餓死させると。よく子供を車に置き去りにしてパチンコやってる間に熱中症で子供が死亡する事件は起きていたが、ついにここまでの感がある。

以前に書いた記事を再掲しておくが、まことにこの記事での懸念がそのとおりになってきた時代ではある。


最近の諸事件の霊的病理

■本稿はリバイバル新聞2000年2月20日号掲載の原稿です。

近年、猟奇的犯罪やカルトがらみの事件が多発している。一見するとこれらは領域を異にするように見えるが、霊的観点からは共通要因を感知し得る。

“この世”のプロトコルの崩壊

バブル崩壊後の社会構造の変化によるかつてのドグマの崩壊・信頼関係の喪失、および”個性の尊重”なる尤もらしい価値観の侵食によるコミュニティーの崩壊などにより、明確な霊的オリエンテーションもない中で人々は心の縁を喪失している。

アイデンティティーの喪失

かつては職業・役職によりアイデンティティーを”見かけ上”担保できたが、現在それも危うくされ、あたかも「らっきょの皮剥き」の様相を呈している。

所謂”人の和”なる標語に見られるように、埋没型の対他的位置関係により自らのアイデンティティーと存在意義を確認してきた日本人にとって、”身の置き処”を失う事はほとんど致命的である。コミュニティーの喪失は直ちにアイデンティティーの喪失を意味する。

ヴァーチャル化と間接化の精神病理

さらにインターネットやゲームで象徴される事象の”ヴァーチャル化”が進行し、特に自我の確立が未熟な若者が仮想現実に接触するチャネルが増え、その内的世界モデルにおける現実と仮想現実の境界線が曖昧になる。この仮想現実に逃避する理由として”間接化の精神病理”、即ちアイデンティティーを喪失した、あるいは喪失する危険に晒される場合、現実との直接的接触により自我が受傷することを避ける心理機制が働く。

神の保護を喪失した人間は外界(特に他者)との接触における受傷から自我を保護するために、様々な自己防衛機制を発達させた。この一つが環境適応であり、自己を外界(フレーム)に適応させて生存を担保する。ところが近年肝心のフレーム自体が崩壊している。よって明確な外界のモデルを構築できず、精神は外界適応の努力において、いわば”アイドリング”する。このためにさらに外界と内界のボーダーが曖昧となり、内的モデルのヴァーチャル化が進行する。

これは一種の受動的態度(投げやり的態度)を招来し、霊的に見ると悪霊の接触を容易に招く。仮想現実の住人には悪霊の提示する”現実”がリアリティティーとなり、それに従う結果、他者には理解不能の猟奇的行動になる。セキュラーな精神病理学者の分析は霊的要因を考慮していない点で極めて不十分である。

自己不全感の屈折した充足(カルトの本質)

また人は心の奥底にある実存的自己不全感・孤独感を補償するために、自分が人生の”主”とし全てを思いのままにマニュピレートしようとする。それは一見快適さと安心感を保証するように思える。これがサタンの誘惑の本質であり、私たちの肉には魅力的に映る。

ある人々は才能に恵まれてこの世でそれを実現する。一方実現できない人々は深刻な自己無力感と対峙せざるを得ない。それを回避あるいは解消すべく、彼らは人々の受容を得て孤立しないことを願う。もちろんこれらの2要素が個人の中であるスペクトルをもって同時に存在する。即ち人は「他者を支配したい」と同時に「他者に受容されたい」というアンビバレンツな葛藤を抱えている。

カルトはまさにこの矛盾を突く。人間の無力感と孤独感を「支配と被支配」という歪んだ役割分担による病理的関係によって補償する営みがカルトである。カルトはこのような深刻な葛藤に起因し、教祖も信者も同一の精神病理を有するため、両者は精神的に非常に強い絆を結ぶ。しかもそれは悪霊が啓発する一種の「霊的共鳴」による結合でもあるため、常軌を逸した病理性を見せる。

結 語

以上の問題の本質的解決は、私たちの魂と霊の創造者に帰り、罪の結果宿命的に抱えた内的空洞を神の霊によって満たすことのみによる。究極のリアリティーは神であり、そのリアリティーの啓示が神の言葉としての聖書である。このリアリティーとの関係性において初めて私たちは真のアイデンティティーを確立し得る。またこのリアリティーに対する信仰によって逃げることなく現実と対峙し得る。


さらに、こんな映画も予言的である。

Dr.Lukeの一言映画評 2009年1月5日

ホラー物の『ミラーズ』。鏡の向うに何かがいる。鏡の中で何かが起きるとそれがこちらでも実現する。子供の頃に鏡を覗いて、その中に入れないかと想像しつつ、何時間も鏡とにらめっこしたことがあるが、それを映像にした作品。かなり怖い。

しかしこのミラーの中のヴァーチャルな現象がこちらのリアルの世界に反映すると言う倒錯現象はすでに起きている。金融経済の混乱が実体経済に影響することなどはまさにその典型。金融は昨年のメッセージでも語ったが、すべては幻想なのだ!デリバティブが6京円あると言っても、その実体は1/100。人々のココロの鏡に映った幻想によって膨らんだモンスターに過ぎない。そのモンスターが現実を直撃しているのが現代。

また私たちは人間関係においても、他者のココロに映った自己像によって、現実の自己が影響を受けている。人の評価や目を気にしつつ生きる人々。人々のココロに映る自らの鏡像を「自分」と思い込み、その像のあり方によってアップダウンを繰り返す。これもりっぱな倒錯現象。何という不自由な生であろうか。これも己がなし得るトリック、フェイクなのだ。その己を対処する十字架を経験すれば、私たちはますます自由をエンジョイできるのだ。観方によってはなかなか深い作品かも知れない。


ここに最初に働くメカニズムは投影と呼ばれる。それが高じて、究極的に自分の願望や愛や憎しみを投影したミラーの中に自身が飲み込まれていく。まことに人生は自分のマインド(意識層+無意識層)が生み出していくのだ(☞プライベート・リアリティーはマインドが作る@YouTube)。

今後、ディープラーニングによるAIとVRが発達することにより、リアルとヴァーチャルの境界は失われていく。そもそもブレインは現実と幻想を区別することはできないのだ。究極的に胃ろうにより栄養を補給しつつ、ブレインの味覚中枢に電極を差し込んでおくだけで生命は維持されるのだ。まさにニンゲンの意義とは何かが問われる時代。そう、スピリットに覚醒することがマストの時代なのだ。