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「携挙は紀元一世紀に成就した」と再建主義者

富井氏tとDr.Lukeのシェーマ


tomi 2019/01/19(土) 02:29

携挙は紀元一世紀に成就しました

携挙は紀元一世紀に成就しました。
なぜならばパウロは「生き残っている私たちが雲にあげられて主と会う」と記されているからです。
ディスペンセーション主義のシステムの中にいる限り、ルシファーの支配の中にいます。
なぜならば、ディスペンセーション主義は、ルシファーの世界支配のために編み出された「詐欺」だからです。
この詐欺にかかっている限り、どんなに状況がよく見えても、最終的に滅びにつれていかれます。
ディスペンセーション主義の人々が元気がよいのは、サタンから支援されているからです。
詐欺師は詐欺にかかっている人をおだて、ヨイショします。
十分に吸い取ってからポイ捨てされるでしょう。
世界中で、教会がおかしくなっているので、行き場を失った人がたくさんいます。
悪魔の罠は巧妙なので、知らず知らず違うほうに導かれます。
ディスペンセーション主義の教会にはこういうだまされた人々にあふれています。
恐ろしい状況だと思います。

http://www.millnm.net/cgi-bin/wwwboard.cgi

これは前にも指摘しているが、「生き残っている私たち」とあるから紀元一世紀だとするわけだ。が、歴史的事実としては、AD70年にパウロは生き残っていない! 彼はAD65年くらいにネロに断首された。この「私たち」に「私(=パウロ)」が含まれていないのだ。それとも「私」以外の「私たち」なのであろうか? 

まあ、再臨もAD70年にあったとするわけで、「再」臨が二回あるとかもそもそもおかしいわけだが・・・。英語で言えば、The Second Comingが二回あるわけ? それはThe Third Comingでしょう、とあえて突っ込んでおきます。

なお、彼の主張が成立するには、啓示録がAD70年以前に書かれている必要があるわけだが、通常はAD90年代とする。この点については次の記事で論駁しているところである。

なお、すでに述べているが終末予言に関する私のスタンスは次のとおりである。

 一応断ると、私はプレミレに立つが、それは今までのところプレミレを捨てる理由がないからだ。再建主義の主張を詳細に調べても、それを棄却するところまではいかない。もし今後、十分なるエビデンスが与えられれば、私もポストミレに変わるかもしれない。これは数理統計学的思考。すなわちある仮説を立てる。この否定の仮説(帰無仮説)を立てる。帰無仮説の上で今起きている事象の確率計算をして、それが5%未満のとき、帰無仮説を捨てる。これで危険率5%で当初の仮説を否定し得ないとするわけだ(これを「「統計的に5%の有意水準にある」と言う)。
 私の仮説はプレミレ。帰無仮説はポストミレ(この際、ア・ミレは除いておく)。聖書と世界の諸現象からポストミレが成立する確率を推定すると、今のところきわめて低い。よって、なお判断ミスの危険(これを第一種の過誤と呼ぶ)はあることを承知の上で、プレミレは否定できないとしているのだ。これがサイエンティストの思考法なのだ。なお、第二種の過誤とは帰無仮説が間違っているのに棄却しない誤りのこと。

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