御言葉VS認知の歪み

私たちが見ている現実や世界観(パラダイム)は私たちの思い(ヌース;mind)の産物だ(☞プライベートリアリティはマインドが作る)。その中で悲喜こもごも人生が展開する。つまりあなたの経験している人生は自作自演なのだ。

うつ病の治療法である認知療法の創始者ベックが言っているが、私たちはみなそれぞれ認知の歪みを有している。これが個々の内的世界観(像)を作り上げるのだ。これは、したがって、リアリティそのものではない。私たちは教育、伝統、社会常識、科学知識などにより、さらに個別のノイズ(認知の歪み)を通して、個別の内的世界観を何気に構築している。それはマトリックスである。

これが人によって異なることからしばしば争いが起きる。例えば日韓の歴史認識の違いに基づく論争や争いはその典型である。極私的には神学などはその提唱者の精神病理の現れであると考えている。

さらに深刻なのは、しばしばこれが御言葉と対立するのだ。そのために神の国の現出を妨げる。「十字架を取る」とは(Luke 9:23)、この世界観を御言葉に従わせることだ。それは自我そのものを抹殺することではない。御言葉に対立する魂の深層心理レベルにおける要塞(霊感情観念複合体)を崩すことである。それから噴き出る御言葉に対立する諸々の思考や意図を拒絶すること。特に感情は思いと絡んで、それが意志決定を左右する。思いにこそ十字架を適用する必要がある。

肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。-ローマ8:6-7

私たちの思いは神に敵対するか(=肉の思い)、神に服するか(=霊の思い)、その二者択一だ。思いを見張り、思いをキリストに服させること。これが十字架のパワーである。

わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ・・・2コリント10:4-5

またあなたがたが思いの霊において新しくされ-Eph 4:23(原文)

霊は思いの中にまで浸透する。これが私たちのアダム時代にあって構築された思いのマトリックスを再構成する。まことに

そしてあなたがたはこの世と同じ姿かたちにされてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形造り直され、〔その結果〕何が神の意思であり、善きことであり、そして〔神〕に喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。-ローマ12:2

マインドのリニューアルにより再構成がなされる。これはメタモルフォーシス、昆虫の変態である。毛虫から蛹になると、その内部は一度ドロドロに溶かされる。それが再構成されて蝶の姿を形造り、ついには殻を脱ぐ。この過程はわれわれの経るべき過程でもある。すなわち、<霊の再生⇒魂の再構成⇒体の変貌>である。

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