癒しは主のエクレンシーにおいてなされる

これは一昨日の証し。聖霊派では念を込めて「悪霊、出ろ~」とか、「ガンよ、癒されよ~」とか、やや見苦しいことを行う。あたかも恐山のイタコか、沖縄のユタあたりのような雰囲気を醸す。極私的には聖霊派のあの臭いは耐え難いものである。徹夜祈祷とか、早天祈祷とか、そもそも祈祷なる単語自体がキモイというの率直な感覚だ。

しかし、YHWHのワザは、イタコやユタのように念を込めた祈祷などは不要。デュナミス(=美徳・virtu)の流れで、こちらの状態とは関係なくスーっとなされる。だから、末期ガンの癒しがなされる時も、アレ?って感じ。デュナミスの流れに触れるには脱力すること。主の業はすべてエクレセレントなのだ[1]デュナミスの意味は、力や能力、そして魂の洗練性をも意味する。

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1 デュナミスの意味は、力や能力、そして魂の洗練性をも意味する。

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