異見, 社会

再建主義者の「MMT理論に関する疑問」を論駁する

いつもの再建主義者の富井氏が次のような論を展開している。MMTあるいはマネーについての根本的誤解があるようだ。この誤解は契約による圧力によって統治する姿勢の同主義者においては実にムベなるかなではある。人の「心」を置き忘れているのだ。加えて彼は複式簿記の原理をご存じないと推察する次第。

1.通貨の存在価値が徴税に依存しているとしても、通貨を「無から創造」できるならば徴税は不要なので、徴税は基礎にはならないのではないか。

正しくは、徴税が基礎なのではなく、「社会による交換可能性への信頼」が基礎。それがある限り、通貨には存在価値がある。

かつて軍票が通貨として通用できたのは、「日本軍の強さ」のみ。負ければ紙くずになる。軍は徴税しなかった。

米ドルが通貨として通用できるのは、「米軍の強さ」のみ。

つまり、通貨が通貨として流通する条件とは「物理的・社会的信頼性」以外のなにものでもない。 つまり、通貨が通貨として流通する条件とは「物理的・社会的信頼性」以外のなにものでもない。

再建主義では最大10%までしか徴税は許されない。税を嫌い、小さな政府を目指す。基本的に自己責任だから。税の意味はまさにMMTを成り立たせるもの。つまりマネーに対する信頼性を担保するものだから。

三橋氏も指摘するが、MMTは無限のマネー発行を意味しない。あくまでもインフレ率(=マネーの価値の指標)を2-3%のレンジに収めるためのバルブが徴税である。徴税権があるゆえに政府のコントロールによりマネーの価値を担保できるのだ。彼は根本的にマネーの意味を誤解している。

2.銀行の信用創造の上限は、借主の返済能力に依存する、というが、その貸し出したカネは「無から創造したもの」なので、消えても問題はないはず。銀行の不良債権とは、「帳簿上の不合理」でしかなく、「実際の損失」ではない。つまり、銀行にいくら不良債権があっても、信用創造によって穴埋め可能。じゃあ、銀行は全能神なのか、という話だが、そうである。社会は、いつのまにか、銀行を全能神としてあがめ奉るようになった。

かろうじてその全能性を制限しているのは「帳簿上の不合理を信用創造で解消する行為」に対する国の法的規制。

不良債権を信用創造によって埋める?! そんなことをしたら一挙にマネーシステムは崩壊する。 不良債権とは帳簿上の不合理ではない。 次のB/Sのつながりで分かる通り、マネー価値を最終的に担保するものは国富。それは国民の潜在的生産能力であり、これを超えるマネー発行はそれこそWW1後のドイツのようなハイパー・インフレを生むのだ。

左の究極資産は民力だ。それに見合うだけのマネーが発行されてこそ、マネーの価値が担保される。幼稚園生に1億上げても何の意味もなく、マネーは単なる紙切れとなるが、東大生にだったら価値が生み出される。富井氏の論はいつもながらだが、自身の脳内マトリックスによる空理空論である。

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