ニュークリーチャーの有する権威

ニュークリーチャーの有する権威

2019-08-06 0 投稿者: drluke

いつもの再建主義の富井氏の論。一点を除いてまことに同意である。

[引用開始]

イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。(マタイ10・1) 

ギリシャ語(Textus Receptus) 

και προσκαλεσαμενοs τουs δωδεκα μαθηταs αυτου εδωκεν αυτοιs εξουσιαν πνευματων ακαθαρτων ωστε εκβαλλειν αυτα και θεραπευειν πασαν νοσον και πασαν μαλακιαν

KJV 

And when he had called unto [him] his twelve disciples, he gave them power [against] unclean spirits, to cast them out, and to heal all manner of sickness and all manner of disease. 


1. 

ここで、「汚れた霊どもを制する権威」は、原語では「汚れた霊どもに対して、自分が望むままに行える自由」という意味である。 

なぜならば「汚れた霊どもを制する権威」に当たる εξουσιαν πνευματων ακαθαρτων の「権威」の語義は、ストロングによると”liberty of doing as one pleases(自分が望むままに行う自由)”だからである。 1)下線はDr.Luke。なお、Strongではなく、Thayerである。

弟子たちには「自分が望むままに悪霊を処分する自由」が与えられた。 

だから、弟子たちが悪霊に対して「底知れぬところに行け」と言えば、そこに行った。 

この権威は、すでにあげた1コリント6・3によれば、一般のクリスチャンにも与えられている2)権威の継承についてはこちらを参照のこと。 

われわれは、再臨を待つまでもなく、現在、悪霊を自由に処分する権威を有する。 

そして、繰り返しになるが、イエスが昇天され、神の右の座に着いて、世界に対する全権を受けておられる現在、この権威は増している。 

われわれは、公生涯におけるイエスご自身よりも大きな業を行うことができるようになっている。 

であるから、イエスの御名によってわれわれが命令すれば、悪霊は言うことを聞く。 

2. 

「霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。」 

この箇所は「汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」に続いている。 

この2つをつなぐ接続詞は ωστε である。 

これは英語では”so as to(するために)”もしくは”so that(その結果)”である。 

つまり、 

「汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」。それは、「霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすため」であった 


とも訳せるし、 

「汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」結果、「霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやした」 


とも訳せる。 

文脈から判断すると前者に訳するべきである。 

ここで注意すべきは、「あらゆる病気」、「あらゆるわずらい」の原因は「汚れた霊ども」にある、ということである。 

そして「霊どもを追い出」すことによって「あらゆる病気」、「あらゆるわずらい」は「いやされる」のである。 

[引用終わり]

われわれはジーザスと同じ業をなし、さらに大いなる業をなす。根拠はジーザスが父の元に行くからである(John 14:12)。そしてすでにそれは成就しているからだ。

ただし、次の点は同意しない。

[引用開始]

5. 

ヨブ記によれば、神の試練として与えられる病気もあるので、一概にすべての病気は契約違反にあると言い切れない。 


しかし、その大多数は、契約違反によって起きる悪霊の憑依によると考えられる。 

この病気の大きな原因である悪霊の憑依に対して、われわれだけが、根本的な解決法を有している。 

イエスの権威を帯びているクリスチャンだけが、病気を根本的に治すことができる。 

それゆえ、この世界にとって、クリスチャンの存在がいかに重要であるかご理解いただきたい。 

とくに癒やしの賜物を持つクリスチャンはそれを積極的に活用することによって、世界の病気に苦しむ人々を救うことができる。

[引用終わり]

この下線部については同意できない。ヨブの苦しみの理由は彼のフェイスに穴が開いていたことによる。ヨブは息子たちが神を呪ったかもしれないと思って、毎日生贄を捧げていた(Job 1:5)。それは恐れからの行動であった。そしてこう告白する-

恐れていたことが起こった/危惧していたことが襲いかかった。-ヨブ3:25

恐れ、FEARとは”False(偽りの) Expectation(期待が) Appearing(現れて) Real(現実となる)”である。フェイスとフィアは互いに排反である。まことに-

神からくるものはつねに善きものであるし(Ps 103:5)、神は自ら試みられる方ではない(James 1:12-17)。

References   [ + ]

1. 下線はDr.Luke。なお、Strongではなく、Thayerである。
2. 権威の継承についてはこちらを参照のこと