226事件の真実に見る歴史と事実の乖離

226の決起隊も日本のことを思ってやったことだろうに。天皇国家を打ち立てんとして。ところがその天皇は自分たちを逆賊とした。その絶望感はよく分かるな。しかし当時は血気盛んだったんだなぁ。今や若者は生きてるだけでイッパイイッパイだから。

226では決起隊の演説を大衆はけっこう支持したのだ。その場面を見ていて、つい山本太郎を連想したね。彼も実質的に「革命」を起こしたがってる。ウラにいるのがあの人物だしね。だが、天命がないものは自滅するものだ。

226事件により天皇の権威が高まると同時に軍部に対する恐れが強まった。軍部はそれを利用して戦争への道を突っ走った。これが定説だ。が、陸軍の東条は対米戦を避けたかった。が、海軍の山本はハワイへと向かった。数年ならば思う存分暴れて見せると啖呵を切りつつ。裏を返せば、後は知らんってことだ。その後始末の責任はすべて東条が負った。近衛がコミンテルンを利用して行わしめたと林千勝氏は言う。近衛とは何者? 彼は藤原の血をひいていることがヒントになる。

極私的には米国の違法性を糾弾したいが、しかし、日本が負けてよかったと感じている。戦前・戦中のあの空気感がいまだに漂うのはごめんだ。柏手も叩きたくないし。白人によるアジアの植民地を解放する結果となったことは素直に認めるが、大東亜共栄圏はちょっとご遠慮したい。

東京裁判はGHQにより行われたが、管轄権の問題、事後法による裁き、都合のよい証拠採用など、かなりアメリカの身勝手による訴訟指揮がなされた。その後もプレスコードやWGIPにより、日本人のアイデンティティとプライドを根底から破壊した。判事らのうちただひとり国際法の専門家であったインドのパール判事はこう喝破している-

彼ら連合国は、日本が侵略戦争を行った事を歴史に留める事によって、自己のアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間の一切を罪悪であると烙印する事が目的だったに違いない。戦争に勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。

これはイラク戦でも繰り返された。

そしてついにはマッカーサー自身がこう証言しているのだ(1951)-

日本は産品がほとんど何もありません、蚕を除いて。日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。日本は恐れていました。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じる。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障(security)によるものでした。

パール判事も、ハルノートのような挑発を受ければ、モナコやルクセンブルグでも戦ったであろう、と述べている。戦後70年を経てパール判事の予言が着々と成就していると感じる。

時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう。

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