祝福と呪いの霊の法則
邦語訳で「良心」と訳されている単語は”suneidecis”であり、語根は”suneido=sun+eido”。sunは共にであり、英語ではCo、eidoは意識する;認知する;知るの意味。つまり共に意識すること。岩波訳では「内奥の意識」と訳されている。YHWHエロヒムと意識を共有すること、コ・パーセプションである。
すなわち、内奥の意識とは神の意識を共有すること(@YouTube)、すべてを神の意識により認識し、判断することである。アダム系の自分のマインドではなく、キリスト系のマインドを活性化し、キリストの意識、認知、考え、感情、意志が私において再現されるのだ。かくしてわれわれの良心は神の良心の反映となる。ゆえに-
だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。-ローマ8:33
なぜなら―
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義とされたのです。-2コリント5:21(私訳)
この「された」とはginomaiである。われわれニュークリーチャーは神の義である。義の立場とされたのみではなく、義とされたのだ。すべてはキリストの十字架でキャンセルされているゆえに、われわれには呪いを受ける理由はないのだ。
鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。理由のない呪いが襲うことはない。-箴言26:2
かくしてニュークリーチャーであるわれわれの得ているスタンスは誰も取り去ることはできない。
わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。-エペソ1:3
われわれを中傷する者は神の真理に敵対するゆえに、彼らのすることはすべて彼らにそのとおりに返される。
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