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ダニエル11章と歴史の対照

ダニエル書11章における預言と世界史の対照を見たいと思います。これを見るとき、聖書の預言の正確さを知ることができ、御言葉に対する信仰が増し加わることと思います。

これから終末の世界の諸事象を見るとき、御言葉のフィルターを通して見ることができれば、個々の現象に惑わされることはないはずです。私たちの主は私たちに時代の徴を見極めよ、と言われました。昔起こったことは、現代にも起きるのです(Eccl 1:9-10)。

主は何かをなされるとき、必ず私たちにそれをあらかじめ語ってくださるのです(Amos 3:7)。私たちに聞く耳があれば、それを知ることができます。このことを古の歴史から見てみたいと思います。ダニエル書の中に出るシンボルや国々を知ることが、黙示録の解釈にとって不可欠です。

今、私たちが置かれている時代は、主が肉体を持って地上におられた時代と同様に、特殊な時代と感じています。私たちの時代は、主が同じ肉体を持って、再び地上に来られる可能性のある時代であり、それを目撃し、主との邂逅を経験できるかもしれない時代であるのです。御言葉をますます味わい、尊びつつ、その日を待ち望みましょう。

ダニエル11:2a
メデイアのダリウスはキュロスⅡ(550-530BC)の支配下のバビロンの太守だった。 キュロスを継いだ3人の王はカンビセスⅡ(530-521)、スメルディス(521)、ダリウスⅠ(521-485)

11:2b
第4の王クレクセス(486-465)が権力と富に満ち、ギリシャに対立する

11:3
勇壮な王とはアレクサンダー大王(336-323)

11:4
ペルシャを倒してまもなくアレキサンダーは32で死ぬ。帝国は子供ではなく、4人の将軍に分けられる→4つの国々が派生、ギリシャ、小アジア、シリア、エジプト

11:5
南の王とはプトレマイⅠ(305-283)、アレキサンダーの後、最初にエジプトの王座についた。 ディアドコイ戦争の間、プトレマイに王子の1人として仕えたセレウコスⅠ(305-281)が、シリアの王となり、最初の北の王となった シリアはアレキサンダーの領地の大部を占め、セレウコスの支配は偉大。

11:6a
プトレマイⅡは娘のベレニカをライバルのアイテオコスⅡ(261-246)に結婚させる。アンテオコスⅡはセレウコスⅠの息子アンティオコスⅠ(281-261)を継承。

11:6b
プトレマイが死ぬと、アンテオコスは離婚したラオディケ(ベレニカと結婚するために離婚した)と再婚する。ラオディケは毒を盛るために彼をベッドに迎え、べレニカと子供を殺し、自分の息子セレウコスⅡ(アンテオコスとの子)を王座にすえる

11:7
ベレニカの弟(彼女の子孫のひとり)のプトレマイⅢ(246-222)はベレミカの暗殺を聞き、セレウコスⅡ(246-225)に対して軍を進めると、セレウコスⅡは小アジアに逃げる

11:8-9
プトレマイは、エジプトに戻る前、その時点でセレウコスがシリアを回復したが、40,000タラントの銀、4,000タラントの金、2,500の偶像をシリアから奪った。

11:10-11
セレウコスⅢ(225-223)はセレウコスⅡを継ぎ、軍を起こしてアタリド王朝のアタルスⅠ(241-197)を攻める。彼は2年の支配の後暗殺される。 彼の弟アンテオコスⅢ(アンテオコス大王223-187)は彼を継ぎ、軍を増強し、エジプトのプロテマイⅣ(221-205)を攻める。彼は成功し、217年ラフィアで負けるまで治める。財産を収奪される。

11:12-13
プトレマイⅣはパレスチナのラフィアで勝利の後、心高ぶり、神殿の至聖所に入る(律法で禁じられている行為)。ユダヤ人の怒りを買う。アンテオコスは敗北の後、東に移動、アレキサンダーの跡を追う。アフガンのカブール渓谷まで進軍。高ぶり、自身をアンテオコス大王と呼ぶ。戻ってプトレマイと198年まで戦う、ラフィアの敗北後約20年後、アンテオコスはパレスチナを所有していた。198年のパニウムの戦いはパレスチナにおけるプトレマイの支配を終わらせた。よって、北の王の帰還に続いて、南の王は敗北し、支配は終わった

11:14
プトレマイⅣに逆らってエジプトが立ち上がり、プトレマイⅤ(205-181)まで続く。彼の支配の間にアンテオコスⅢとマケドニアのフィリップⅤ(221-179)は外国のプトレマイの資産を分けることに同意。かくして多くが南の王に逆らって立つも、その反逆は収束される。

11:15-16
前に述べた北の王は戻り、南の王のルートをとり、彼のうちには立つ力はなくなった。美しい国は最終的に1世紀以上のプトレマイ王朝支配からセレウコスの支配下になる。

11:17b
アンテオコスはプトレマイと平和を結び、彼に娘のクレオパトラを与える。エジプトを軍隊によらず陰謀により攻める意図をもって。しかし彼女は父の意向に反する。

11:18-19
アンテオコスは小アジアに背を向け、ギリシャ(沿岸の町)まで進軍する。しかしローマ軍によりテルモピレで追い返される(191)、最後に190年にマグネシアで敗北する。彼はローマとの188年平和条約の直後スサの近くの異教の神殿を略奪しようとする(187)、彼は躓き倒れ、もはや見られない。

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