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再建主義者の「再臨と携挙を未来の出来事とするのは悪魔教である」を論駁する

いつもの再建主義者富井氏の論。彼らはAD70年に携挙も再臨もあったとする。そして千年期に入り、世界が福音化されたのち、二度目の再臨があるというわけ。これについては再々臨だろうと指摘しているところである。ちなみに教父たちは携挙・再臨についてこう証ししている。

どう見ても、教父たちは再臨がAD70年にあったとは証言していない。

で、彼の次の論についてFBで論駁したところ書き直された模様。

「再臨」や第1テサロニケの手紙4章の「携挙」がもし未来に来るならば「主が再び来られるときまで生き残っている私たち」というパウロの預言は外れたことになる。パウロは「私たちの世代に起きる」とここで明言しているのだから。再臨も携挙も紀元1世紀に起きたと解釈しなければならない。

https://ameblo.jp/millnm/entry-12543032622.html

元々は「生きている私たち」と書いていた。現に聖書にはこうある:

わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。-テサロニケ4:17

これがゲネア論争。黙示録がAD60年代に書かれ、AD70年に19章まで成就し、現在は20章だとするわけ。なぜならゲネアは高々40年だから。

が、その語源はゲノス(genos)だ。現代のゲノムの語源、種族、属の意味。そもそも再建主義の意味でもパウロの預言は外れている。なにしろパウロはAD70には生きていないからだ。まさか「生きている私たち」に自分を含まないとでも言うのであろうか。

ゲネアを物理的時間ととらえる罠である。その語源に基づいて生命論的に理解せよ!十字架以前には存在していなかった種族、エロヒム属が生み出されたのだ。現経綸では二種類の属が存在している。主が言われた時点ではアダム属のみだったからね。「この世代」とすべきなのだ。この「世代」とは時間のことではなく、生命の質のことである。

ポスト・ミレについては黙示録がAD60年代に書かれていないとその根拠が崩壊する。これについてはこちらで富井氏の論拠に沿って論駁している。カギは「倒れた」の意味である。

主にある兄弟姉妹を悪魔教と断罪する再建主義者富井健。あなたは審判者ではない。すでにキリストの体を傷つける深刻な罪を犯していることに気づくべきであろう。家族も仕事もなく、孤立無援の中で自分の信念を貫く姿勢はそれなりに評価するが、すでに一線を超えている。

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