いま、フェイスとは願われるサブスタンス(実体化)、まだ見ていないことの現出である。-Heb 11:1(私訳)

株式売買は株券というブツを売買する。安く買い・高く売る、あるいは高く売り(空売り)・安く買い戻す。いずれにしろ、株価の波動の高低差がゲインとなる。問題は売買のタイミングである。株価の波動をつかんで、それに乗ること。つまりサーフィンである。

これに対してオプション取引はブツではなく、権利を売買する。ある株式(原資)を、ある価格(権利行使価格)で、ある期間に(限月)売買する権利を、ある値段(プレミア)で売買するのだ1)プレミアの決まり方はこの記事では省略する。。それはあくまで権利であって、市場参加者の脳内の約束(プロトコル)である。

例えば、A社の株が現在1,000円とする。1か月後に1,100円で買う権利(コールオプション)を100円で買ったとする。実際に1か月後に1,500円になったとすると、1,100円で買う権利を行使してA社株を買い、ただちに1,500円で売れば400円のゲインとなり、プレミアを引いて300円の実質益を得る。

売り手はプレミア100円を得るが、1,500円のA社株を1,100円で売らなくてならない(義務)ので400円のマイナス。プレミアを相殺して300円の損失となる。これを図にするとこうなる:

もし株価が900円に下がっていたら、買い手は権利を放棄するだけでよいから、プレミアの100円の損失。売り手は何もしなくてよいからプレミアの100円の利益となる。つまり、買い手は最大損失はプレミア分のみだが、株価が上がるにつれ、売り手の損失は拡大する。

売る権利(プットオプション)の場合は、例えば現在A社株が1,000円だったとして1か月後に900円で売る権利を100円で買ったとする。実際、1か月後に株価は500円になったとすると、500円で株を買って900円で売ればよいから、400円のゲインとなり、プレミア100円を引いて300円の利益となる。

売り手は500円の株を900円で買わなくてはならないから(義務)、400円のマイナスで、プレミアと相殺しても300円の損失となる。図にするとこうなる:

プットの買い手は株価が下がるほど利益となるが、上がった場合は権利を放棄すればよいから損失はプレミアの100円だけ。売り手は何もする必要ないのでプレミアの100円の利益となる。この場合も、買い手は最大損失はプレミア分のみだが、売り手は株価が下がるほど損失は拡大する。

このようにオプションは単なる約束事を売買するだけ。そして限月が来れば、その権利を行使すると利益あるいは損失が実体化する。約束事はいわばマトリックスであり、目に見えない脳内のサブスタンスである。それを実体化して、現実にマネーに変えることで利益/損失が物理的に現出するのだ。

まさにフェイスである!

われわれにはすでに聖書(御言葉)というYHWHのマインドにある約束事(プロトコル)を記載した契約書を所有している。すなわち聖書である。この中にある私の有する権利・義務関係の中にニュークリーチャーである私は生かされている。問題はこのプロトコルの網構造=マトリックス=を知り、いつ、どのように、何の権利を行使すれば/義務を果たせば、何を得られるのかを知ることが必要である。

多くのクリスチャンがこのマトリックスを知らず、したがって自分の権利を行使することもできず、したがって益を得ることがないのだ。ひたすらあの放蕩息子の兄のようにガンバッて父に仕えるだけ。だから帰ってきた弟が父のもてなしを受けると不満を漏らす。が、父は、お前はつねに私と共におり、私の持っているものはすべてお前のものであるのに、と諭す。これがキリスト教なる宗教のマトリックスに生きる人の様である。彼らの口からは常に不満がもれるのだ。

対する弟は自分の悲惨を認め、本心に立ち返り、ただ豊かな父の心のマトリックスに入ったのみである(☞ゴッド-マトリックスに生きる)。あとは全自動で話が進む。息子である以上、父の資産を享受することは当然である。これがフェイスに生きる者の有様であり、彼らは自分の状態や努力によらず、父のマトリックスに入るのみでその益を享受できる。

まことに信じた者は自分のわざをやめて安息に入るのだ(Heb 4:3)。見えない領域にある永遠のサブスタンスをわれわれはすでに得ている。それは主がご自分の血によって買って下さった権利=オプション=であり、われわれはその権利の行使をするのみなのだ。その時、利益が実体化される。ゆえにそのコツを知った者はますます豊かにされるが、持たない者は・・・以下略!

エペソ書などの神の御計画と言う訳が問題である2) 計画だからそれは”まだ”モード。原語はオイコノミア、つまりエコノミーだ。それは”すでに”モードの現在価値への引き戻し。だから経済学を知らない連中はみな聖書を誤読して、ニッポンキリスト教なるタコツボ業界ができるニンジンぶら下げられて、いつかいつかと走らされている馬である。 。「計画」と訳された原語は「オイコノミア」、すなわち経済である(☞神のエコノミー-いのちのディスペンセーション-)。その元は経世済民。富の分配と管理、そして増殖である。だから主は言われた、わたしが戻るまで商売(オキュパイ)せよ、と(Luke 19:13)。それは宗教ではない。リアルなオプション取引である!

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References   [ + ]

1. プレミアの決まり方はこの記事では省略する。
2. 計画だからそれは”まだ”モード。原語はオイコノミア、つまりエコノミーだ。それは”すでに”モードの現在価値への引き戻し。だから経済学を知らない連中はみな聖書を誤読して、ニッポンキリスト教なるタコツボ業界ができるニンジンぶら下げられて、いつかいつかと走らされている馬である。

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