ここで「神」に当たるヘブライ語elohimは、eloah(神)の複数形である。

https://biblehub.com/…

つまり、直訳すると「神々」なのである。

しかし、「仰せられた」に当たるwayyomerは、動詞amarの三人称単数。

主語が複数なのに、述語が単数。

明らかに「三位一体」を啓示している。

さらに、

「さあ人を造ろう」の「造ろう」に当たるnaasehは、動詞asahの一人称複数。

神々の間での相談と合意があったことを示している。

この一節だけで、神は存在論的に複数、契約的に単数であることがわかる。

この事はすでに私の『神の新創造-自然法則を超えるマインドのパワー』でも指摘しているし、 エロヒムの概念と日本語の「神」あるいは”GOD”はずれていることはすでに指摘している。

エロヒムは霊的生命体の総称であり、もっとも高きエロヒムが父・子・聖霊、その御名がYahawehだ。それを「主」とか”LORD”と訳してはならない。エロヒムはYahaweh以外にも存在するし、われわれの霊もエロヒムである。

つまり「エロヒム」とは生物分類学の「門」とか「属」に相当するメタ概念なのだ。もう一歩だね。

契約的にひとつではなくて、いのちにおいてひとつなのだ。

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