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キリストは私をオーバーライト(上書き)した フェイス

キリストは私をオーバーライト(上書き)した

霊的真理は日本語で理解してはならないと何度も指摘している。日本語のマトリックスにハマると元々の豊かな意味が削られてしまうのだ。かくしてニッポンキリスト教でよく言われる;「イエス様は私の身代わりとして死んでくださったから、私は罪を赦された哀れな罪人として地上の人生を神さまに聞きしたがって、きよく・ただ…
ジーザスのわざのルーツ-聞くこと- フェイス

ジーザスのわざのルーツ-聞くこと-

私たちはつねに何かを聞いている。自分の思いと思っていることが、実は別のルーツを持つことはよくあることだ((声のルーツは、聖霊、自分の肉(過去の記憶や知性・感情など)、サタン、この世だ。))。それを自分の思いと勘違いして、その上にプライドを立てると、要塞となる。神の言葉よりも自分の思いを高くすることだ…
物は壮(さかん)なればすなわち老ゆ-老子第三十章 フェイス

物は壮(さかん)なればすなわち老ゆ-老子第三十章

物は壮(さかん)なればすなわち老ゆ。これを不道と謂う。不道は早く已(や)む-老子第三十章 わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって…
主の喜びは主に責任を取っていただくこと フェイス

主の喜びは主に責任を取っていただくこと

御父を喜ばせるとはいかなることか。宗教的に考えてはならない。 そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、「幼い時からです。 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。 …
レーマは霊(スピリット)であり命(ゾーエ)である フェイス

レーマは霊(スピリット)であり命(ゾーエ)である

人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。-John 6:63 ここの言葉はレーマ。イエスが語り出したレーマは霊であり、命(ゾーエ)であった。かつて私は<レーマ=ロゴス+信仰=霊=いのち>と表現したことがある(+より×がいいかも)。…
フェイスと従順は啐啄同時-それは時空を超える経験- フェイス

フェイスと従順は啐啄同時-それは時空を超える経験-

フェイスはアクションによって完成される(James 2:24)。ここの行いとは何か?簡単である。御言葉に書いてあるとおり信じ、行動すること。否、信じたら行いが自動的に生まれる(☞パウロとヤコブについて)。例えば- ●病気の時:私たちはイエスの傷により既に癒された⇒癒された者として振る舞い、行動するこ…
究極のリアリティーとは?-ブレインが構築するクオリアからの解放 フェイス

究極のリアリティーとは?-ブレインが構築するクオリアからの解放

この写真、どう見えるだろうか?生足がオイルで光っている。・・・ノー。これはトリック。単に白い絵の具を塗っただけ。「オイルで光る」のはブレインが作り出した幻想なのだ。このようにブレインが構成し、知覚するモノをクオリアというが、現実とはしばしば異なる。そもそも「色」自体がないのだ!存在するのは波長の異な…
神の国はNOW&HERE フェイス

神の国はNOW&HERE

地上では「きよく・まずしく・ただしい」生活を送り、死んだら天国に行ける。これがいわゆるキリスト教。ある姉妹が言われた、死ぬまで何をしてればよいの?伝道、奉仕、献金、デボーション、ボランティア・・・・と。こうして果てしない行動へと駆り立てられる。 しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのな…
ジーザスはいつ十字架につけられたか? フェイス

ジーザスはいつ十字架につけられたか?

先に創世記1章1節に、すでにイエスがコードとして埋め込まれていることを紹介した。この創世記1章1節の「初めには」は時間と空間と物質の始まりである((ここはニクダの付け方により、定冠詞Theがつく解釈とつかない解釈が可能。付かない場合は「神が天と地を造られたとき」となり、2節はその説明的記述となる。イ…
フェイスは霊であり僕である フェイス

フェイスは霊であり僕である

日本語で「信仰」と聞くと、「信じて仰ぐ」とそれぞれのオツムに構築されたマトリックス回路が作動する。仏教とも神道でも何かを信じて仰いでいる。ゆえに、オレの信仰、あなたの信仰・・・、それぞれの信仰を大切にとなるのが一般的。かくして信仰を論じると、けっこう一部のプライドを刺激するようだ。この単語自体が日本…
マトリックス(世界モデル)の根本的変革 フェイス

マトリックス(世界モデル)の根本的変革

物理的時空間にのみ生きる場合、たとえばガンになると、原因はDNAの損傷あるいはコピー不良により、病的タンパクが作られ、制御不能になって、全身に散って、正常臓器を損傷し、ついには死に至ると考える。よってそのがん細胞を殺すために、外科的処置、化学あるいは放射線治療と考える。これは物理的時空間でのリアリテ…
ニッポンキ業界のボクシとの会話:語り出された神の言葉のパワー フェイス

ニッポンキ業界のボクシとの会話:語り出された神の言葉のパワー

ボクシ:Dr.Lukeは語り出された言葉は無為に帰ることなく、言い送ったことを成し遂げる(Isa 55:11)と言うが、自分を神にするのか? 小生:では、あなたは誰の言葉を語っているのですか? ボクシ:もちろん神の言葉だ。ボクシは神の言葉を取り次ぐことが使命だ。 この会話の本質、分かります? 彼の言…
フェイスとはマトリックスの選択 フェイス

フェイスとはマトリックスの選択

この本は93年に購入したもの。三つの領域における霊の戦いの処方箋を提示している。すなわちマインド、教会、霊的領域。特に第三の領域においては霊的存在が生み出す幻想あるいはフェイクによって私たちが影響されていることを指摘する。 自分は何らそのような影響を受けていないと主張したくなる人は要注意。その兆候自…
人間はトーラスである-霊と魂の調和した姿 フェイス

人間はトーラスである-霊と魂の調和した姿

内視鏡なる単語がある。胃や腸の"中"を観察するツール。私もかつて大腸検査をして、自分の腸の中を視た。不思議な感覚がしたものだ。が、実は胃や腸は内部ではない。トポロジカルには外部である。つまり体表面から指で口から肛門まで断絶することなくなぞることができる。トポロジカルには人間はトーラスなのだ。いわゆる…
祈り-それはサブスタンスを操作する醍醐味 フェイス

祈り-それはサブスタンスを操作する醍醐味

祈りって何でしょう。キリスト教のお勤め? あるいは打つ手がなくなった時、もはや神に祈るしかないと。それは何か虚無感を覚える祈りのイメージです。 祈りは、ひとつは霊的呼吸です。エロヒムから生まれたエロヒムの霊をもつクリスチャンは祈ることなしに生きることはできません。肉体が呼吸を止めることができないのと…
神の御心(マインド)の充満に生きる フェイス

神の御心(マインド)の充満に生きる

著書『神の新創造-聖書が啓示する自然法則を超えるマインドのパワー』でも強調したが、人類は旧人類(アダム族)と新人類(キリスト族)しかない。後者は新創造、ニュー・クリーチャーだ。十字架以前には存在していなかった人類。ニュー・スピーシーズ(新種)である。神はキリストの傷から流れた血と水によって新しい創造…
スピリチャル・サブスタンスによって生きる フェイス

スピリチャル・サブスタンスによって生きる

義人はフェイスによって生きる。-Rom 1:17 目に見えるものによらず、フェイスによって歩んでいるからです。-2Cor 5:7 われわれは通常、身体に備わった五感(視・聴・臭・触・味)により、自分の置かれた環境を感知し、評価し、反応している。これは物理的時空間にある「私」の生き方だ。それは五感によ…
日本語マトリックスから離脱せよ フェイス

日本語マトリックスから離脱せよ

最近、つくづく感じているのは、なぜニッポンキリスト教が生まれるのか。それは言語の問題であるということ。すでに何度も繰り返しているが、信仰(ピスティス)を「信じて仰ぐ」と理解するならば、それで真理から外れる。これがゆえに、「私は信じます、信じます」と念仏を唱えることを信仰と思い込み、しばしば神に裏切ら…
サブスタンスをつかむ フェイス

サブスタンスをつかむ

プロテスタントの「律法を行うことによらず、ジーザスを信じることによって救われる」なる信条は偽りであるとすでに指摘している((この視点から、ルターはヤコブ書を「藁の書」と評した。が、ルター自身が聖書真理から逸脱しているのである。佐藤優氏によるとルター神学はヒトラーの思想の土台となったとのこと。ルターの…
フェイスは時空間を超える<永遠のNOW>の現像焼き付け フェイス

フェイスは時空間を超える<永遠のNOW>の現像焼き付け

よく言われるセリフがある。「私は今この病気を抱えているけど、主は必ず癒して下さると信じて待っています」と。この人は癒されないことが分かる。なぜなら、それは希望であって、フェイスではないから。フェイスはすでに癒されたと分かるのだ(⇒信仰と希望について)。 フェイスは永遠の現在の領域、つまり物理的時空間…
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