善と悪を知る木

善と悪は同じ平面の裏表=純粋さの罠= フェイス

善と悪は同じ平面の裏表=純粋さの罠=

これはなかなか深い。一度フェイスを持ち、聖なる霊を経験した者が堕ちると、しばしばダークサイドの存在となる。善と悪は同じ平面の表裏だから。罪とは善と悪を知ることである。 一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落し…
罪とは善と悪を知ること 独白

罪とは善と悪を知ること

この記事などはまさに正義や善は人を窒息させるものであることが分かる。 「人に迷惑」を異常に恐れる日本人の病理 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。-創世記3:22…
ルカ6:31の誤訳に見るキリスト教なる宗教が生まれる理由 フェイス

ルカ6:31の誤訳に見るキリスト教なる宗教が生まれる理由

ルカ6章31節(Luke 6:31)は黄金律として有名なキリスト教の誇る「教え」だ。すなわち、「自分がしてもらいたいように、人にも同じことをせよ。」・・・と、と、と、コレがまったくの誤訳! ギリシャ語をそのまま並べると― また/ちょうど同じに/願い続けよ/こう/彼らがし続けている/あなたがたに/その…
道とは善と悪を超える生き方=ハイパーライフ-老子第二章 フェイス

道とは善と悪を超える生き方=ハイパーライフ-老子第二章

みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ-老子第二章 罪とは善と悪を知る木の実を食べたことであった。すなわち善と悪の二元論の世界に落ち、絶えず自分で判断する生き方をすること。真理は全と悪を超えたもの、それは道なるジーザスである。いのちの次元に生きることだ。 わたしは道であり、真理であり、いのち…
善悪を知る木による生き方といのちの木による生き方 フェイス

善悪を知る木による生き方といのちの木による生き方

よく、この平面の違いって何ですか?と聞かれる。まず確認することは、アダムの罪は悪を行ったことではない。善と悪を知ったことである(Gen 3:22)。それは二元論的・相対的価値観の世界に生きることを意味する。 善悪の路線とは、要するに地的領域、物理的時空間、主観的には五感によって実体化される領域にこの…
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