幼児化社会に想う
- 2010/01/12 12:43
- Category: 意見
- Tag: 精神病理
"SAPIO新年号"に面白い記事が。曽野綾子の「お子さまの時代」。まことに同感の至りなので、ちょっと抜粋を。いわく
私は年を取って来たので、最近は日本の将来を憂う気持ちが次第になくなって来た。努力をしなかった当人が困るより仕方がないではないか、と突き放した見方をするようになったのである。
最近の日本には、実人生の現実の部分がますます希薄になって来ている。実人生というものは、必ず雑多な要素を帯びている。昔の人はそれを「楽あれば苦あり」とも言ったものだ。その逆もあって、英語の諺には「すべての雲は輝く内面を持っている」というのがある。悪いばかりじゃないよ、ということだ。
誰もが苦しみに耐えて、希望に到達する。努力に耐え、失敗に耐え、屈辱に耐えてこそ、目標に到達できるのだ、と教えられた。・・・しかし現代は不幸の価値を認めない。だから苦しみが必要な仕事は避け、努力が要るものは学ばなくなった。
日本は地下資源もない。国土も広くない。人口の規模もまあまあ中級で目下減りつつある。すると日本が生きていく道は技術を売り物にするほかはない。
それなのに何年も修行して木工職人になるという地道な生き方を選ぶ若者は多くない。植木屋、大工などという職業が要らなくなる社会はない。いわば安定した職業である。農業もそうだ。しかしそうした地道な職業に就いて、何年か学び続けるという意欲を持つ人は少ないらしい。
世界の国々が生きる道は三つしかないと、私はかねがね書いている。圧倒的な政治力か、経済力か、それとも技術力である。いずれにしろ力である。力を悪いものと考える人がいるが、それは現実を見ていない人である。
いずれにしろ、それらの力は一朝一夕に身につくものではない。・・・しかし今の人はたちはそうではない。遊びながらこの世を行き行こうと考える。
確かに今の日本人は、恐ろしく幼児化している。精神も幼稚になりつつある。
日本人の多くは、もはや個性を持たなくなった。すべての人の言うとおりの型通りの価値観にしがみつき、同じ時間のつぶし方をする。哲学もなく、気概もなく、本を読んで人生を考える努力もしない。与えることは一切考えず、「弱者に優しい世界」を要求する。子供がお菓子や玩具を買ってもらえないと、地団太を踏んで泣き喚くのと同じだ。
この日本の幼児化に、私は少し倦きて逃げ出そうという気になっている。・・・しかし身近に実生活の厳しさのない実感のない暮らしというのも、日本人のおかれた環境が、どこか過保護で歪んでいるところから出て来ているように私には思えるのである。
幼児化はカプセル化した社会に生じる。民主党現象のルーツだ。彼女の主張は、要するに自己責任でやってくださいな、自分は関わりたくない、エクソダスあるのみ、という感覚だ。ニッポンキリスト教などはこの病理が恐ろしく進行しているわけだが、ニッポン社会に対しても、私とほとんど同じ感覚である。
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