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続・魚玄機の魅力

森鴎外の『魚玄機』によるとこうある:

 この時李は遽に発した願が遽にかなったように思った。しかしそこに意外の障礙が生じた。それは李が身を以て、近こうとすれば、玄機は回避して、強いて逼れば号泣するのである。林亭は李が夕に望を懐いて往き、朝に興を失って還るの処となった。
李は玄機が不具ではないかと疑って見た。しかしもしそうなら、初に聘を卻けたはずである。李は玄機に嫌われているとも思うことが出来ない。玄機は泣く時に、一旦避けた身を李に靠せ掛けてさも苦痛に堪えぬらしく泣くのである。
李はしばしば催してかつて遂げぬ欲望のために、徒らに精神を銷磨して、行住座臥の間、恍惚として失する所あるが如くになった。
李には妻がある。妻は夫の動作が常に異なるのを見て、その去住に意を注いだ。そして僮僕に啗わしめて、玄機の林亭にいることを知った。夫妻は反目した。ある日岳父が婿の家に来て李を面責し、李は遂に玄機を逐うことを誓った。

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鴎外によると、美貌にして深い教養を持つ玄機は李の妾となるも、彼に身を任せることがなかったのだ。李はこれで悶々とし、妻もその所作がおかしいことに気が付く。夫と妻は反目するが、ついに李も玄機を追い出すことを決意する。かくして武漢で彼らは別離れるのだ。その時の彼女の詩がまたけな気なのだ。

秦楼幾夜か 心にかないて期(ちぎ)りし
料らざりき 仙郎別離有らんとは
睡り覚めて 言う莫れ雲去るの処
残燈一盞 野蛾飛ぶ

この歌によれば、実際の仙郎の日常は鴎外の記述とは異なるようだ。この転句にある「雲去るの処」は、戦国時代、楚の国の襄王(BC299-263)が、大夫の宋玉を伴って雲夢(うんぽう)で遊んだときの故事を受けている。これがまたロマンチックな物語ではあるが、ここでは略。いわゆる『巫山の夢』。

もうひとつの彼女の詠んだ詩:

水柔らかにして器を遂う 定め難きを知る
雲出るに心無し 肯て再び帰らんや
惆悵す 春風 楚江の暮
鴛鴦一隻 群を失いて飛ぶ

水が器に従うように、わたしもあなたに従うだけ、自分の運命を自分では定めれることができないの、と。ここでも「雲出るに心無し」と襄王の故事を受けている。昨日の北原白秋ですら、気が狂いそうだと、文学者としてはあまりにも露骨な表現をしているのだが、それだけ彼は自分の心を御し難かったのだろう。対して、この「郎」に過ぎない玄機は、別離という人生の最も過酷な場面において、深い教養を散りばめた漢詩という形で自分の心を昇華し得た。文学はまさに人間の不条理による深い葛藤から生み出される、というより絞り出されるものなのだ。

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聖書においてすら、神の御計画が着々と成就する契機となる個々の場面においては、この男と女のまことに奇なる絡みが実に味わい深く働き、それが綾なされて遂にはイエスというお方をこの地上に生み出すのだ。まことに神の摂理だ。そこにはもちろん生身の人間の傷と痛みがある。イエスの系図にはその人間の不条理ゆえの葛藤の綾が匠みに織り込まれているのだ。人類の究極の不条理を、神は人間イエスにおいて、その経験された傷と痛みの不条理において見事に昇華されたのだ。文学や芸術など人の営みは、ある種、神の葛藤の型と言えるのだろう。玄機の生涯においてもその痕跡を見ることができるのだ。

just as...

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