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続続・魚玄機の魅力

彼女の不条理は遊里に生まれたことだけではなかった。女であること、そのことがまさに、だったのだ。しかも絶世の美貌を備え、かつ深い教養があった。彼女は当初自分に近寄る男たちに歯牙もかけなかったようだ。彼女から見れば彼らは教養もない下卑た連中に過ぎなかったのだろう。

鴎外の形容は-

眉目端正な顔が、迫り視るべからざる程の気高い美しさを具えて、新に浴を出た時には、琥珀色の光を放っている。豊かな肌は瑕のない玉のようである。

ある春の日、長安の崇真觀という道教の寺院に遊びに行き、南樓をたずねると、そこに新しく進士(現在の国家公務員試験I種に相当)に及第した人たちが、名前を書きつけている場面を目撃した。その時の彼女の実に率直な感想の詩-

崇眞観の南樓に遊び、新及第の題名のぐ處を観る

雲峯 満目 春晴を放つ
歴歴 銀鉤 指下に生ず
自ら恨む羅衣の詩句を掩ふを
頭を挙げて空しく羨む 榜中の名

遠くの山の雲、景色もすばらしい気持ちのいい春。壁の達筆なお名前を一つひとつ指で指して見ています。新しく及第した進士たちのお名前。だけど私は女。どんなに巧みな詩詞を作っても空しい。女であることが残念で、彼らの名を羨むだけ・・・。

鴎外はこう書いている-

玄機は才智に長けた女であった。その詩には人に優れた剪裁の工があった。温を師として詩を学ぶことになってからは、一面には典籍の渉猟に努力し、一面には字句の錘錬に苦心して、ほとんど寝食を忘れる程であった。それと同時に詩名を求める念が漸く増長した。

しかし、彼女は利徳の愛人となり、徐々に自分の女に目覚めていく。同時に正妻からの恨みを買って利徳にまで捨てられる。そのような自分の不条理を彼女はこう詠っている-

隣の女に贈る

日を羞じて 羅袖に遮り
春を愁いて 起妝(きしょう)に懶(ものう)し
無價の寶を 求むるは易きも
有心の郎を 得るは難し
枕上 潛かに涙を垂れ
花閒 暗に腸(はらわた)を斷つ
自ら能く 宋玉を窺う
何ぞ必ずしも 王昌を恨まん

起妝=起きて化粧すること
有心郎=愛情を注いでくれる男
宋玉=楚の詩人宋玉は美男子だったので、隣の女がのぞき見したという故事を受ける。ここでは李億のこと。
王昌=六朝の梁の武帝の詩に、盧家に嫁した莫愁という美女が実家の隣の王という男に嫁げばよかったと後悔したと詠われたことを受ける。王昌とは一般に女の実家の隣にいた初恋の相手のこと。

春の日差しすら恥ずかしく、薄衣で顔をさえぎるの。春なのに愁いは募り、起きてお化粧するのも物憂い。高価な宝を得ることは簡単だけど、自分を本当に愛してくれる殿方を得るのは難しいこと。ひそかに枕に涙し、花が咲き誇る中でこころは断腸の想い。でも自分であの人を選んだのだから、今更あの人を恨みなどしない・・・。

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この二つの詩を読み比べるとき、ますます玄機*1の魅力に捕らえられてしまう。女性の魅力は、もちろん黄金比φに基づいた造りが前提ではあるが、しかし単にそれだけではあたかも隣国の同じ顔した規格品的整形美女たちのようなもの。その内面に玄機のような深い教養と、しかも自分では如何ともし難い不条理と葛藤を抱えた女性、私はそのような女性に限りなく魅了されるのだ。先にも書いたが、唐人お吉もその一人。私の中では玄機とお吉はある種の重なりを覚えている。

*1:「玄機」とは道教の用語で、真理の意味だそうだ。

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