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"携挙未来説は神話である"

と、いつもの再建主義の旗手富井氏が書かれている。いわく-

携挙未来説(*)は、ディスペンセーショナリズムの一部であり、完全に間違った教えです。
なぜならば、テサロニケにおいてパウロが誰に向かって語ったか無視しているからです。
パウロは、紀元一世紀に住むテサロニケの人々に向かって述べたのです。
ならば、紀元一世紀に携挙が起きたのであって、われわれの未来に起きると考えることはできません。・・・しかし、このテサロニケの手紙におけるパウロの主張をそのまま「21世紀に住むわれわれ」に適用することはできません。

うーん、するとだ-

あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。-Matt 5:13

の「あなたがた」は垂訓の山に集まった者だけを指しており、「21世紀に住むわれわれ」とは関係ないわけ・・・か!?

彼の主張は、再臨も携挙もAD70年に起き、現在は千年期。いずれ全世界が福音化されて(=すべての人がクリスチャンとなる)、御国が設立された後、キリストはまた再臨され、われわれも携挙される・・・。聖めも二度必要なように、これらも二回あると言われるのだ。

それにしても黙示録の執筆時期については何らの反応もないが、あくまでも黙示録はネロの時代、すなわちAD60年台になったと言われるのだろうか?私は御言葉からAD90年代であると論証しているのだが。そう、これが崩れると再建主義は根底から完全に崩壊してしまうのだ。

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