Entry

トップ > 信仰 > 荒野に宴をもうけ

荒野に宴をもうけ

ファイル 3993-1.jpg


ウォッチマン・ニーの黙想

先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。-ルカ5:5

 時に主のための業において主が保証してくださる結果が得られず、努力が虚しく終わることがあります。しかし、私たちがうろたえるためにそれが見えないのです。「なんという虚しい骨折り損だろう、一晩中働いて何も得られなかった、どうせ祝福などないのだ!」と私たちは呟きます。しかしここでこのように考えても益はありません。事実としては単に神が祝福を控えておられることに直面しているのです。人間的論理では原因から結果を導きます。しかし私たちの考え方は神聖な御心の領域では不適切です。その領域においては神が原因であり、しかも神だけなのです。
 「でも、お言葉ですから網を下ろしてみましょう」、これは神の奉仕においては意味のある信仰です。私たちの砂漠のような状態において、私たちを祝福してくださる神に信頼することです。私たちがただ神にのみ希望を置くのであれば、私たちの未来のすべての過程において祝福を見ることができるでしょう。私たちの人生にとどまる主の愛顧は、50人の救いを意味し、また100人の主に対する献身者をも意味するのです。神の祝福は留まることのない結果をもたらします。超自然的な事を期待しましょう。神に対して奇跡を仰ぎ求めましょう。

Access: /Yesterday: /Today: