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現代に生きることの面白さと難しさ

ついにやってしまった。FBデビュー。個人情報をFBIやCIA、そのうち日本版NSAに抜かれるかもだが、しかし、面白い。友達リクエストNo.1がNちゃんだった。彼女とはもう13年くらいの付き合いだ。当時学生だった彼女とはけっこう深いお話をしたものだ。あの頃が懐かしいかも*1。小学校から中学まで9年間を過ごしたI君とかも。そして本学の私のファンの女子学生諸君。あ、青春時代を共に送ったXもだ*2。そしてお馴染みさんたちも。しかし、BlogにTwitterにLINEにFBとなると、ちょっと管理が大変なことになってきた。・・・さて、どう使い分けるか。このBlogはヨタ話、LINEはプライベート連絡用、TwitterはNEWSのクリップ用、FBは同窓会的か?面白い時代になったものだ。

*  *  *

また若い女性が刺殺された。先の三鷹事件と似ている。三鷹はFBで知り合ったらしいが、今回はどうなのか。相手はけっこうイケメン。これも共通している。今日、非正規雇用が38%に迫る時代、若者が着実に自分の人生を築き上げることができないのだ。一度規定路線から落ちると、復活が不可能*3。将来に対する夢や展望も持てない。すると目先の人間関係が自分のアイデンティティーと社会的所属感を担保する唯一の場となる。そこで自分が拒絶されると、自分が全否定されたように感じられるのだ。そしてすべてを破壊したくなる衝動の抑制が消失する。家族や係累など守るものや大切にするものもない。よって、愛(=自己愛の裏返し)が裏切られると、それが深い分憎しみが増幅され一挙に・・・となる。世界の見方が自分のみの物差しによることになり、自分と世界との関わりが歪む。自分がどう扱われるか、これがすべての基準となるのだ。つまりセルフの病理。これはニッポンキリスト教がセルフ教となっているのと同じ。ここでも合わせ鏡なのだ。

三島が言っている、人は自分のためにだけ生きられるほど強くない、と。そう、守るものが自分だけになると容易に自暴自棄になり得るのだ、人は。彼はこれを「生の倦怠」と呼び、自分のためにだけ生きるのは卑しいことだ、とも言う。かくして三島は天皇と自衛隊に裏切られ、自分の腹を切った。今回は自分を裏切った相手を刺した。ベクトルの向きは異なれど、そこにはある種同じ病理が働いていると思えるのは、果たして私だけであろうか。「生の倦怠」-きわめて現代的な、言い得て妙なる表現だ。

参考:最近の日本に思う(99年)

*1:いえ、別に怪しい関係ではないので、そこんとこヨロシク!
*2:決して深くは追求しないこと!
*3:私の知り合いはある大手のビール会社で7年間非正規でやっていたが、研究熱心とその成果が認められ正規になった。その時の倍率がすごい、90人中2人だったとか。ただ単純な機械的作業をしている限り、まず正規にはなれない。それだとディスポーザルにされる。自分に特異的なプレミア(付加価値)をつける必要があるのだ。

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 物騒な事件が立て続けに起こっていて、日本社会が殺伐としたものになっていると私は感じています。

アイデンティティの置き所や社会的帰属感を得る場が目先の人間関係のみの場合、相手に拒絶されると全否定されたと感じて破壊的衝動の抑制が消える事や三島氏の発言も参考になり、勉強になりました。

 健全なアイデンティティは自我を否み、キリストに服し、そしてキリストの霊に導かれることで得られるのではないかと思います。が仮にその信仰対象にも「裏切られたー」となってしまうとつらいことになるのではないかとも思ってしまいます。ことにキリストでなくキリスト教に関わると・・・。

祈りや賛美や瞑想などにより、自然や神との一体感を体験すれば、分離や孤独というものが幻想であるとわかり、目先の人間関係に左右されずにいられるのではと思います。ちなみに私は今現在友人や知人との交流はほとんどありませんが孤独と感じることはあまりありません。飼い犬がある意味唯一の友です。笑い。

  • 2013/11/30 06:13
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Luke

まことにおっしゃる通りです。

  • 2013/11/30 09:35
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イェシュア様の真実やイェシア様の掌握しておられる摂理といった事が今後、KFCを通じて益々明らかとなりますことを期待します。

  • 2013/11/30 21:14
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