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平和と退屈

金曜日には花を買って主題歌

今朝の日経の「春秋」欄がちょうど昨日のエントリーとリンクしている。堤氏の死去についてのエッセイだが、なるほどだ。

春秋 2013/11/29付

テレビドラマ「金曜日の妻たちへ」のシリーズが始まったのは1983年だった。ちょうど30年前になる。視聴者をもの憂くおしゃれな空気に浸らせた、この不倫物語は大ヒットした。関川夏央さんによれば、戦後40年の「平和と退屈」の所産である(「家族の昭和」)。

登場する男女はニュータウンに住み、よくホームパーティーを開く。庭でバーベキューをやる。ワインを飲む。社会が70年代まで引きずっていた貧乏が消えたのだ。当時の西武百貨店のコピー「おいしい生活」ほど、そういう時代の感性を表すものはない。それを先導したセゾングループ創業者、堤清二さんが亡くなった。

70年代に引きずっていた貧乏が消え、80年代バブルへと突っ込む直前のドラマが「金曜日の妻たちへ」シリーズだ。これについては何度も触れているので、そろそろ食傷気味とも思うので繰り返さないが、「平和と退屈」の所産であることにはまことに同意だ。家族と友人との楽しい時間をエンジョイするあのドラマの世界は私も大いに憧れたものだ。そしてバブル。実に楽しかった。所詮幻想ではあるが、幻想もそれなりに人生を生き抜くモチベーションとなる。

そして失われた10年、20年を経て現在。いかがだろう、やはり三島の言う「生の倦怠」が蔓延し、しかもそれがバラ色の夢、「おいしい生活」的な幻想ではなく、きわめて疲弊し、荒んだ形で社会を包んでいる。そうなのだ、貧乏は消えたが、貧困が蔓延る時代となった。再び食うにも困る人々が220万人(生保受給者)も出現している。それは戦後すぐの時代に匹敵するか、下手をすると超える。現在、株価が好調。円も安い方に触れている。雰囲気的には若い子達もバブルファッションで、なんとなくバブル直前の感じも漂うが、社会の根底が変質してしまっていると思えるのだ。

あののどかだった時代は再びは来ない。これからはむしろサバイバルゲーム化するだろう。世の中は「籠に乗る人・担ぐ人・そのまたわらじを作る人」からなるが、昨今では「そのまたワラを集める人」が出現しているのだ。ミレーの「落穂拾い」はルツ記に根拠があるが、これは神の憐れみの実に美しい物語だ。しかし神を排除した現代は、落穂ではなく、実を抜かれたワラを集めて生業とせざるを得ない人々がいる。働くことが建設的かつ喜びではなく、自分が搾取されることと引き換えにその日の糧を得るだけの労苦となる。つまり身を切り売りするだけなのだ。まことにサタンの配下にあるこの世の究極の姿が今後展開する。否、すでにしている。

さて、11月ももう終盤、そして金曜日。本日はどう過ごそうか・・・

追記:田中宇氏の国際ニュースから。これはニッポンの近未来の姿でもある。

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zion

フードスタンプ
生活保護受給者数は13ヶ月連続で4,700万人台となっている、そうです。

http://blog.livedoor.jp/usretail/archives/51895903.html

  • 2013/12/01 21:38
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