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クリスチャン・トゥデイVs.救世軍山谷真少佐、判決下る

2008年から開始された本件、11月30日付けをもって救世軍山谷少佐が公式声明を出された。

判決内容を見るに、証拠不十分による山谷氏の賠償と記事の一部削除命令。数ある論点の約半分近くは山谷氏の主張が認められたが、本質的な論点たるダビデ張氏をして自らを「再臨のキリスト」と教えていたか否かについては、裁判所は、ノートなどに直接記載された証拠がみられずと判断した模様。「クリスチャン・トゥデイ」側は高々と勝利宣言的記事を掲載しているところである。

すでにここでも何度も書いているとおり、ニッポンキリスト教、さらにはキリスト教そのものがイエス・キリストの福音から逸脱し、単なる宗教と化している。山谷氏の事案もこの流れの中で起きたことである。この傾向、全世界的にも言えることであり、米国においては福音派はすでに後退し、リベラル系が強勢となっている。カトリック教皇フランシスすらも、イエスに対する信仰の有無によらずすべての人々は天国に行けるなどの欺瞞を唱え、そのバビロン的廃教の様相を深くしている。元々カトリックはオカルトであるが(参照:黙示録2章:Rev 2:18-29)、その本質をモロに現し出した。カトリックとプロテスタントの一致融合とかも説かれ出ししが、すでにカトリック・プロテスタントの分類が無意味。いずれも本質はバビロンの霊の下にある点で同じなのだ。

もっと言おう、今後、否、すでに、キリスト教はキリストご自身とその福音にもっとも敵対しているのだ。障害は○○学会ではない。キリスト教の霊はカインの霊。それは自らと自らの労苦を捧げるセルフの祭壇にして、今後ますますカインの道を行く者が増えるであろう。見かけ上キリスト教は栄えるかもしれない。いわゆるエキュメニカルも実現するかもしれない、あの戦争時のように。それは欺瞞の上の楼閣である。かくしてアベルの道にとどまる者は少数なのだ。それはセルフを放棄する道。多分、三島が大義のために死にたいと言った、その大義とはここにあるのだ。三島は大義のために立つことを訴え、怒号と罵倒の中で腹を切った。山谷氏もまた盲目なる群集の罵倒と嘲りと非難の中でアベルの道に殉じられた。主に栄光!

追記:本件についてはクリスチャン新聞でも報道された。

Comment

坂井能大

お察しの通り、村上密大牧師先生様も「キリスト教系新聞」と認めているようです(大爆笑)

エンパワード21全日本大会
http://maranatha.exblog.jp/21258542/

  • 2013/12/03 21:59
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