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本日の二冊

ファイル 620-1.jpg政治評論家森田実氏の『崩壊前夜日本の危機』。フリードマンの提唱した市場至上主義の非情さと新自由主義の非人間性をかねてより警鐘を鳴らしていた同氏。私も99年にその過酷さを指摘し、日本人はそれに耐え得ないであろうと書いている(→こちら)。彼は06年の小泉氏の総選挙のやり方に異議を唱えたところ、テレビからパージされたとのこと。当時のマスコミ各社に対する政治的圧力は想像以上のものがあったようだ。小泉氏はニッポンを壊したのだ。そして今般、その結果を身に背負わされて歪んだ"義憤"にかられたコイズミが、またニッポンを壊した。かくして悲劇は連鎖する(ネット上で官僚に対する脅迫が多発しているようだ。いずれ大学教員などにも牙が向けられるかも知れない)。

例の「ミラーマン」と揶揄された植草一秀氏の冤罪性についても、私の内ではかなり確度が上昇し、ほぼ100%に至っている。植草氏には今後ともあくまでも真実を語り続けて欲しい。またそのことによって同氏は自らの潔白を証明することができると考える。ここ数日、同氏はマスコミの偏向的小沢叩きについて論じておられるし、ここでも前に紹介したが森田氏も小沢氏に対する期待と共に、民主党に対する5つの提言をしている。森田氏は日本再生の道はアメリカからの自立と「道徳」であると言う。これはここでも前に書いたが、二宮尊徳の道である。しかるに、現状は、前に「希望的観測をこめて、麻生氏はけっこうやってくれるかもしれない。が、前々から言っているとおり、私的には小沢氏に一度はやらせてみたい気持ちも抑え難しだ」と書いたが、やはりどうも麻生氏は「希望的観測」に終りそうだ。だいたいアキバでオタクのご機嫌伺いをしているようでは・・・ね。

ファイル 620-2.jpg二冊目は、ガラっと雰囲気を変えて、五木寛之の『燃える秋』。先に紹介した『凍河』に続く1977年の作品。紹介文を転載しておくにとどめよう:

祇園祭の宵山の雑踏で、岸田と出逢った亜希。初老の画廊主の恋人がいながら、亜希は岸田に惹かれてゆく。暗い性の深淵か、真摯で穏やかな結婚生活か。どちらからも自由でいることを選び、亜希はイランへと旅だった。

女性が自立することの意味を二つの恋愛に引き裂かれた亜季の生き方を通して描く作品。この頃の五木寛之の作品は何故か好きなのだ。若い頃に読んだ印象とまたずいぶんと違って読める。しばらく五木寛之の作品を辿ってみたい。

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